見いだされた〈非時間性〉
― アビ・ヴァールブルクによる図像地図「ムネモシュネ」を拓くための芸術人類学的一考察―
中島智(武蔵野美術大学/芸術人類学)

The Discovered Timeless World View
Art-anthropological Study for Seeking possibility of Aby Warburg's MNEMOSYNE
NAKASHIMA,Satoshi

前書き

 ドイツの美術史家アビ・ヴァールブルク(Aby.Warburg 1866-1929)はイコノロジー(図像解釈学)の創始者と言われている。だが、彼の図像学的実験である「ムネモシュネ(MNEMOSYNE=記憶)」を理解するためには、彼が傾倒した文化人類学的視座を見逃してはならない。そこではとりわけ非時間性が重要となる。そしてこの点を理解すればヴァールブルクの実験は「西欧」と「美術史」の外部にある汎人類的地平に拓くことが可能となる。
 本稿では、芸術的思考に継承されている神話的な時-空間について概説する。ヴァールブルクに取り憑いていたのがニーチェ(F.Nietzsche)の亡霊だとすれば、私が記述する際につねにその背後から呼びかけていたのはプルースト(M.Proust)であった。すなわち、「その存在が生きうる唯一の環境、ものの本質を受け止めることのできる唯一の場所、つまり時間の外に出たとき― 」註1)という、近代芸術に残存された声である。

はじめに 「非在」へのまなざし

 「芸術とは何か? 」という設問以降に捏造される解答がつねに空虚なのはなぜだろうか。
 それは、その設問そのものが芸術の「他者性」を去勢する置換であることと、その「他者性」を既知に取り込むことで「所有物」への還元を指向していることに関係があるようだ。すなわち、それは「標準」の捏造なのである。
「外部から到来するものは、その先に照らされ、理解される。『理解される』というのは私たちから由来するということである。もろもろの事物が世界となるのは、すなわち私たちの所有物となるのは、この光を介してである。… 光はそのようにして外部(対象)を内部(所有物)に包摂することを可能にする。それがコギトと意味の構造そのものである。」註2
 E ・レヴィナス(E.Levinas)はいみじくも「理解」することと「所有」することの類同性について指摘している。標準としての、既知からの光とは、鏡像(image)から出ない「想像界」におけるアイデンティティー操作を照明している。そこには「他者」は存在せず、「他者とは何か? 」という設問だけが主体(主題)化されている。すなわち、「理解」する働きとは、自らを「外部」から疎隔することで「想像界」という定点に留まり続けようとする意志の別名であるということになる。
 その一方で、「外部(他者もしくは非人間界)」とじかに接することで「想像界」から「象徴界」へと降り立つ人々がいる。彼らは主体や自我そのものを変容させるテクネーを用いることで、「外部から到来するもの」を「意味の構造」において所有化することなく、贈与として引き受けているのである。そこでは冒頭のごとき設問は生じ得ない。ある「標準」に依って計量することの不可能な、絶対的に非対称でしかあり得ない、「外部」的実在のみが引き起こす純粋贈与の働きがそこにはある。レヴィナスが「絶対的に他なるもの、それが『他者』である」と述べるように、非意識を内在させた芸術においても、それを「理解」させる共通のラングは不可能なのである。この点に気付かなければ、かの設問以前に実在している「他なるもの」は完全に喪失されるか、あるいはたんに不純物として表象されてしまうかの命運を辿ることになる。
 「象徴界」について、内田樹は「私がその理解も共感も絶した他者、いかなる度量衡も共有されない他者と出会う境位」註3)と定義する。となれば「他者」を鏡像的な「理解」に引き込む「想像界」とは対称性思考のことである。私は『贈与論』註4)において、この対称性を現出させる思考を構造水準と呼び、そこに〈裂け目〉を生じさせる「象徴界」に準ずる境位を原因水準と表現した。そこでもまた「想像界」によって「象徴界」を把握しようとすれば、それは非在化してしまう。すなわち、「理解」及び「所有」を前提化されたマネージメントにおいて非在化してしまう芸術的思考の境位こそが、実は逆説的に、西欧モダニズムにおいてもなお芸術がその存続を許されてきた主要因なのである註5)。なぜなら、かの設問以降の形式として宙吊りにされた表象体系が、それによって非在化された「象徴界」を管理下に置くことは、不可能だからである。
 しかし、その「理解」と「所有」の試みは、今日でもその不可能性を覚知されることが少なく、いたちごっこの如く継続されている。その根底にあるものは、自らの所有物に非ざるものに対する羨望であり、その方法は依然として「概念的所有」としての「理解」なのである。そのために彼らはいったん、他者に属するものを他者から引きはがして公共的な場所に宙吊りにしなければならないというわけなのである。管理主体にとって「他者」はつねに社会的な実在でなければならない。でなければ他者に属するものを剥奪する方便を失ってしまうからである。つまり、そこでは「公共性」という名の通貨(共通ラング)への置換こそが、それを「理解」し「所有」するための唯一のメディアなのである。だが、この種のカムフラージュとは、体制が個人を管理する仕草と相似的なものであり、管理主体(羨望者)がそこに社会的アイデンティティーと善性とを確信し得たとしても、それは裏腹にもっとも管理された客体として自らを位置付けてしまうことになるのである。
 ともあれ、管理とはつねに単純な体系から複雑な体系に向けて行なわれるものである。人間は自然の一部でありながらも、限定合理性や局所的対称性から得た「標準」を駆使しながら人為的合理性を発展させてきた。そのこと自体は評価されて然るべきものである。ところが、これが人間中心主義を確立させてしまうと、人々は多くの自己矛盾を抱え込まざるを得ない事態に陥ってしまうのである。この問題が西欧社会に噴出しはじめる遥か以前に、東アジアでは「非仁(非人間性)」へと開かれた道家的美学が、儒教的な人為性に対抗するものとして発展していた。もっとも、こうした拮抗が表面化する以前に、「外部」への裂け目というものは、実際、技芸(アート)の世界においては汎人類的に共通に認められるものなのである。例えば、美術においても「傑作」とは、作者にとってはその人為性(学習された価値標準)を越えているという意味において必ず「失敗作」として立ち現れるものである。そしてここでの技術(アート)とは、人為的な客観性や均衡性それ自体が持つ偏りにおいてなされる管理技術ではなく、人間が生態系のなかで先天的に内蔵している偏りを通して実現される「他者」への開かれなのである。
 本稿では、「芸術とは何か? 」という設問以降に捏造されてきた「標準」や、それが自己増殖や自己修復を繰り返すことでテリトリー化されてきた体系に分け入ることはしない。私の関心はつねに、内的必然がそれに相応しい様式を択んでアレーテイアされる、その原因水準の方に向いているのである。ただし、その働きについて記述するためには、既成の「標準」がいかなる管理技術として要請されたものかということについて明らかにしておく必要がある。そこで今回、本稿で採り上げるのは時間表象である。美術史とその背景にある歴史主義、そしてそれを支えてきたユーラシア都市型の時間観念がもつ特異な性格について理解することはもちろん、それよりも遥かに汎人類的に生きられてきた時間観念について再確認していくことは極めて重要なポイントとなる。この再確認によって、本稿がリージョナルな美術研究にとってのささやかな寄与となることを私は願っている。

第一章 「ムネモシュネ」という方法

「美術史は、歴史哲学なしにはありえないし、時間モデルを選択せずしては存在しえない。同時にまた美術史は、芸術哲学なしにはありえないし、美的モデルを選択せずしては存在しえない。… 歴史的語りには、いうまでもなく、かならずその対象の『本質』に関する理論的規範が先行し、それを条件づけている。美術史は、その語りの『よき対象』、それを寄せ集めれば最終的には美術の本質といったものが形成されるような『美しき対象』を規定する美的規範を前提としているのだ。」註6
 G ・ディディ= ユベルマン(G.Didi-Huberman)は、アビ・ヴァールブルク(Aby.Warburg)の言葉、すなわち「どの時代にも、それにふさわしい古代の再生がある」という記述を引用しながら、「残存」という概念をアナクロニスムとして記述する。そこでは歴史・年代記的な時間モデルであるクロノロジーによって不在化されたものを観念的に模倣しつづけなければならない現在性とは異なる、イメージの複合的時間がもつ無意識的な示顕とその非在性の持続が表現されている。
 そもそもヴァールブルクのNechleben(残存)という概念は社会人類学者E ・B ・タイラー(E.B.Tylor)のSurvival から借用されたものである。当時は歴史学が進化モデルを要請していた一方で、人類学では「非時間性」の発見こそがもっとも学問的功績を納めていたのである。G ・ディディ= ユベルマン(以下ユベルマンと表記)は述べる。
「ヴァールブルクが人類学へと美術史の領域を開いたのは、たんにそこに研究すべき新たな対象を再認識するためではなく、時間を開くためでもあった。」
 つまり、〈古代的なものの残存〉とは古代に実在したものへの回顧を意味するのではなく、歴史的時間モデルの「外部」から不意に現れてくるイメージの時間なのである。それは意識の断層、裂け目、症状として、すなわち徴候(シーニュ)として現れる。となれば、Nachleben とは残存というよりも、時系列にかかわらず「非時間性」に沿って生きているものの示顕と説明すべきものであろう。
 田中純はこう述べている。
「残存という概念はイメージに固有の時間モデルであるアナクロニスムを解き放つ。残存においては、長期的に潜伏したものが唐突に再出現する… そのときクロノロジー的な持続の観念は崩壊し、歴史はアナクロニスム化される、と著者(ユベルマン)は言う。クロノロジカルな説明原理がそこではもはや機能しないのだ。」註7
「ムネモシュネ」パネル第77 番
【図1 】「ムネモシュネ」パネル第77 番
ここではドラクロア、新聞・雑誌の切り抜き、ポスター、切手、印章、メダル、建造物、時刻表などが並置されている。写真:The Warburg institute, London
 また、この残存の問題は情念(パトス)を通して象徴秩序を把握するヴァールブルク的方法とも深く関わっている。田中によれば、近代は象徴的思考を論理的思考へと止揚したかに見えるが、そのことによって逆に人間は「無時間的に、あらゆる時代にわたって残存しつづける」象徴的思考を恢復するための「過渡的状態」にとどまらざるを得なくなったという註8)。ユベルマンもまた、「美術の歴史家」はその対象を客体化して認識できるわけではなく「客観的な諸要素へと還元しえない生命力(force vital)のようなものにかかわり、巻き込まれる」ことを指摘している。すなわち「芸術は…癒すことも、昇華することも、鎮静させることもない」ものであって、ヴァールブルクもニーチェと同様に「官能に対する哲学者特有のまぎれもない怨恨」を忌避したのだと述べる。ただし異なる点は、ニーチェがアポロン的な像芸術とディオニソス的な祝祭芸術とを対比させたのに対して、ヴァールブルクはそれらを「人類学的には分割不可能である」と考えたことであるという。
 いずれにせよ、こうした

視点をもつ時間モデルや象徴、情念形式の問題を理解することなしには、ヴァールブルクの図像学を解くことはできないのである。彼の図像学的実験「ムネモシュネ(記憶)」はとてもユニークな地図である。フリッツ・ザクスル(F.Saxl)によれば、それは「(芸術家の本質を問う)核心の問題にそって考察」されたものであり、その方法とは、同時代における公私の並置による「ふつう文化的環境と称されているものと芸術家とを一括りにして考察」することであり、もう一つは文化の外的要因を主題化する「古代がふたたび蘇生するときに対峙せざるを得なかった勢力」の記述である註9)。こういった作品と資料の不分離性やその転移へのまなざしは、まさに「心的徴候学」と呼ぶに相応しいものである。個人にせよ文化にせよ、その主体意識とはつねに客体化された主体のことであって、実在的な主体とはつねに前主体の裂け目に誘惑されることでしか生きられないものだからである。ただし、ここでも精神分析学のみでなく、人類学(民俗学)的な視点を忘れてはなら ない。これはユベルマンに対しても言えることだが、その視点の有無は「ムネモシュネ」を継承的に発展させていくうえで大きな分岐点となるものである。ユベルマンは、だがパノフスキー(E.Panofsky)が継承し損ねたものについて結果としては気付いている。

「パノフスキーが、個別的な症状を、それを構造的に総括する象徴へ― カッシーラーにとって重要な、あの『象徴機能の単一性』にしたがって― 還元しようとしたの対して、ヴァールブルクは逆の道に身を投じた。象徴の外見的な単一性のなかに症状の構造的分裂を見い出すこと。パノフスキーは、カントから出発して征服としての知の道に身を投じようとした。他方でヴァールブルクは、ニーチェから出発して悲劇としての知の道に身を投じようとした。」註10
 ユベルマンもまたヴァールブルクの「ムネモシュネ」という問いを「失われた時の探究」になぞらえている。私はこの点について民俗における「非時間性」という主題から解いていくことにする。

第二章 芸術= 文化システム

「西欧の知性は、異常なる世界を、出来合いの理性的支配に組み込む最も確実な手段として、歴史主義= 進化論的枠組みの低次の段階に配置することに成功したのである。」註11
 山口昌男はこの歴史主義的時間モデルを用いて非近代的なるものを支配しようとしてきた文化的構図にコロニアリズムと同種の思考を見る。これは管理技術としての知が西欧において特異な発展を遂げてきたということを意味するものだが、そのなかで唯一、人類学と心理学のみが「未開」と呼ばれた非合理性を「内的な体験」へと転換させる媒介となり得たことを彼はいみじくも指摘している。
 J ・クリフォード(J.Clifford)はこの問題を美術館= 博物館システムにおいて提示した(表1)。そこでは「非真性さ」として位置付けられる民具類やフォークアート類が、時間の推移とともに次第に「真正さ」の側に取り込まれていく傾向が示されている。

意味と制度の場のダイアグラム

【表1】「意味と制度の場のダイアグラム」 J・クリフォード『文化の窮状』より

 ではこのミュージアム・システムを支持している力とは何であろうか。クリフォードによれば、それは歴史主義である註12)。この時間モデル(継続・発展)において、真正さと非真正さ、洗練と粗野といった価値付けがなされるわけだが、実はその分類を行なっている枠組みもまた自文化中心主義的な配置(社会進化論的枠組み)と入れ子構造をもつものなのである。だがここで「非真正さ」と看做される側、生活環境や日常の情念が織り成す民俗的な生態のなかにこそ、かの文化システムの原因水準が立ち現われるのである。そこでは互いに異質な時間軸が交通する複合的な時間の生成と反復が生きられ、遥か古代から受け継がれた技芸や陳列の伝統が残存しつづけている。それを代表するものとして「市庭」註13)を挙げることができるが、例えば、その起源にアジール的性質をもつ「美術」を扱うポンピドゥー・センターが、その起源にアジール的性質をもつ「市庭」の記憶に由来する土地に建てられている註14)ことも、民俗(無意識)的観点からみれば決して偶然ではないのである。
 ではここでレヴィ= ストロース(C.Levi=Strauss)の芸術論集註15)を手がかりに、複合的な時間(アナクロニスム)と創作との関係について述べておこう。この論集は次のような書き出しで始まっている。
「プルーストの作品に描かれている、ヴァントゥーユのソナタ「小品」は、シューベルトやワーグナー、フランク、サン= サーンス、そしてフォーレの作品から得たさまざまな印象の組み合わせである。… 時間とは無縁のこのような融合は、異なった日付けのさまざまな出来事や小さな事件を現在という時間のなかに呼び出し、混合するという同種の手法と対をなすものである。… それに関してジャン・ルイ・キュルティスのすばらしい評言がある。― 「この『失われた時を求めて』という作品には、失われた時もなければ、見いだされた時もない。そこにあるのは過去もなく未来もないひとつの時、ほかならぬ芸術的創造の時があるだけだ。それゆえに、『失われた時を求めて』という作品のなかの時間構造は、あのように茫漠とし、捉えがたく、あるときは伸びやかに広がり、あるときは短く結ばれ、あるときは円環をなしているが、線状に進むことは決してない。もちろん、正確な日付けが打たれることも決してない。〔…〕シャン= ゼリゼで遊ぶ子どもたちが、はたして輪遊びをする年頃なのか、こっそり煙草を吸う年代になっているのか、それもよくわからない」。このように見てくると、無意識の記憶はただ単に、以前の情報を伝えてくれるけれども人がそれを再び生きることはできない意識的な記憶に対立しているばかりではない。物語の織り目に無意識の記憶が介入することで、出来事の継承と時間の持続のなかで、その順序を完全に変えてしまう創作の手法が補償され、均衡を維持されるのである。」
 ここで彼が見い出しているのは、芸術創造の意識が生み出すブリコラージュ的手法(非時間性)と神話的世界に見られるそれとの相同性である。それは目的意識や計画された構想、すなわち、意識的なレベルにおいて生産される均質性やクロノロジカルな時間表象とは全く異なるものだということなのである。彼は人類学者の眼差しでもって、芸術的思考を支えている「無意識の記憶」と、そのアナクロニスム的性格を看破している。そして、ここでは先述のヴァールブルクの「ムネモシュネ」的アナクロニスムはブリコラージュ的手法として化生する。それは、プルーストにおける複合的な時間並置はもちろん、スーラにおける素材の並置、プッサンにおける時元の並置へと連接されていくのである。
 こうしたレヴィ= ストロースの慧眼は、現代、芸術が広く流行しているのは「人々の鈍感さ」であり、例えば18 世紀の観客や聴衆においては作者のダイナミズムに近接した場所から作品が受け止められていたという問題を指摘せずにはおれないのである。確かに芸術はいまその「枠組み」が鑑賞されやすい情報主義的傾向にある。そしてその「人々の鈍感さ」は「理解」と「所有」によるマネージメント・システムを疑いもなく信奉させているのである。そこでは、西欧のローカルな「アート概念」という「枠組み」によってラスコーやアフリカの造形物を「美術」や「芸術」と呼称することで失われてしまう本質にさえ気付かれることがない。
 これは先のクリフォードが示した芸術= 文化システムとも極めて相似した問題である。レヴィ= ストロースは「芸術作品と研究資料との関係に関する覚書」をマルティニーク行きの船上でアンドレ・ブルトンに手渡した。その内容は、芸術作品と看做されることと否認されることの違いについて説明を求めたもので、双方ともに生産レベルにおいての基本条件は同一であるが故にそれらを区別する問題は「生産する作者」と「生産された作品」との切り離し以降に求められるのではないかというものである。これに対してブルトンは「言うまでもないことですが、すべての芸術作品は資料的観点から考察することができます。しかし、その逆を主張することはまったく不可能です」と返答している。これは芸術と資料が二項対立関係にあるものではなく、資料という集合の一要素に当るものが芸術だという構図であろうが、そこで芸術として区別される標準については解答されていない。
 ではレヴィ= ストロースにおける「芸術= 資料」とは何なのであろうか。彼はこの点について「無文字民族の芸術は、自然や慣習、あるいはこれら両方に帰せられるばかりではない。超自然にも帰せられるものである」と述べ、もはや超自然を直視することのない近代人たちがそれを慣習的な象徴に置き換えてしまうことと対比している。すなわち、彼の視点からすれば近代人の方が慣習的世界に包囲されているということなのだ。続けて彼は、「原始的」とされる芸術には制作者の目的がその技量不足において「素朴」と看做されてしまうものもあるが、その一方で「制作者の精神に現前するモデルが超自然であるため、本質的に、感覚的な表象手段では捉えられない」というケースがあることについて述べている。
「もはや主体の側の欠陥のためではなく、対象の過剰のために、制作者はこの場合もやはり指し示すことしかできない。さまざまな様態において、無文字民族の芸術はこの後者の例証となっている。」
 ここで「超自然」と呼ばれているものはもちろん「非人間性」という以上の「過剰性」のことである。それを指し示そうとする時、その芸術は人為的な情報節約操作においては技量不足とならざるを得ず、その結果として粗野もしくは稚拙として現れざるを得ないということが看取されているのである。無論、このことは民族芸術に限定された現出作用なのではない。となれば、民族芸術に「素朴」しか見ることしかできない芸術愛好家たちに対して、彼が「鈍感」と評する所以も納得できるものではないだろうか。そしてこの人類学者は、真にグローバルな視野をもって数多の職能者にまつわる神話を緻密に分析しつづけてきた結果、「これらの神話は美術的な職能が超自然的な起源を有することを語っている」という結論に至ったのである註16)。

第三章 非歴史的時間の諸相

「神話は、ある意味で、かつて起こった出来事ではあるが、常に起こっていることでもあったわけだ。われわれ現代人は歴史を年代順にしか見ないので、この出来事を形容する言葉を持たないが、神話は、そうした時系列の歴史を越えて、人間の存在の、時を超越した部分を指し示し、無数の出来事がただもう無秩序に渦巻く混沌のかなたに、現実の核心を垣間見る手助けをしてくれる、ひとつの芸術形式なのである。」註17
 神話はおそらく世界最古の芸術形式である。それはネアンデルタール人が葬送儀礼の痕跡を残しているように、世界に潜在する何らかの異次元性への裂け目を覚知し、霊的感情を生み出した時点から今日まで引き継がれてきているものである。そしてその遥かのちに人類は都市文明を形成しはじめ、そこでは様々な生業的時間が同居し、その秩序(統一化)が求められたため単一の「標準」が考えられた。それは文字であり、貨幣であり、そして抽象的な時間観念(クロノロジー)である。これらの「記号」の発明によって、都市文明では交換と交通を飛躍的に発達させ、都市国家間での権力闘争も規模を拡大させていった。とはいえ、これはグローバルに見れば人類のごく一部が選択した「文化」形態であり、その「標準」から汎人類的な神話的思考や芸術的思考を把握することは不可能なのである。
 M ・エリアーデ(M.Eliade)は、神話的時間(聖)と歴史的時間(俗)との違いについて「神話的事件の永遠の現在のみが歴史的事件の俗なる時間持続を可能にする」と述べ、「歴史主義は救済論的、超歴史的な意味の啓示へのあらゆる可能性を歴史的事件から剥奪することによって、歴史的事件そのものに意義を認めるのである」註18)と説明している。すなわち、神話的時間とは一種の記憶・非時間性として歴史に関与しない「永遠の現在」でありながら、それなしでは「慣習的な持続」としての俗なる時間(現実)が更新されないような「実在の中の実在」もしくは実在を支える実在なのだということである。そして、こうした「神的次元」の投入として儀礼空間が立ち現われる。例えば、中国納西族では、呪薬はその起源を唱えなければ効力をもたない。ここにも神話的な力が生命力を更新し、時間を押し拡げ、シーニュ化された日常を再現前化させる働きが垣間見える。つまり、それは過去化(遅延化)される持続としての歴史的時間から、徴候化(現前化)される持続としての「起源の時(= 現在)」への回帰として反復される、原因水準(非人間性)の創造的な顕在化なのである。
 E ・R ・リーチ(E.R.Leach)もまたギリシア神話を分析することで、クロヌスの時間が聖俗二極間の振動(転倒)であり、「繰り返し現われる対立の不連続」註19)という時間概念がもっとも原初的であると考えた。そして彼は汎人類的に「人間は暦を祭りによって表示している」ことに注目し、「祝祭」が時間を創り出し、秩序づけている体系について考察している。すなわち彼は、直線や円環として幾何学的に表現されがちな近代的時間論を批判しながら、対極性の発生に時間の生成を見る。そこでは二極間の象徴的移行とその転倒によって、聖は俗を前へ押し出し、更新させるのである。
 この典型的な例がバリ島にある。バリでは二種類の暦による時間認識が行われている。青木保はこう述べている。
「バリ島の人々は重要なことが行われる日を指して『時』あるいは『時期』とよび、そうでない日を『穴』とよぶ。バリ島人の日常生活の流れは、祭礼日によって区切られ、そこで一時止められて『時』が現われる。… 時計の文字盤によるような量的な流れでの何時といった時の認識はなく、どういう性質の時間があるかが問題とされるのである。」註20
 この、抽象化された数量的時間概念とは異なる質的時間註21)という問題については章を改めて詳述することにして、ここでは質的時間を現前化させている神話的思考(芸術的思考)の方に話を戻したい。矢野智司はアフリカの、遊牧・狩猟・農耕をそれぞれ生業とする三部族を比較対照しながら「人間と動物」の関係について考察したR ・G ・ウィリス(R.G.Willis)を紹介しながら、「ウィリスが明らかにしたことは、動物とはたんに世界を説明するための認識の体系にとどまらず、『内側から世界を超越すること』に関係していることである」と述べている。
「言葉を話さない動物は、自然から贈与された自然の生成の力をあらわしている。わたしたちは、動物とかかわることによって、分断されていた意識と無意識とのあいだに、見えない力がはたらき、連続性と全体性とを回復する。芸術がそうであるように、優美である動物は、わたしたちの自己と世界との境介を溶かして、溶解体験を生み出すのである。」註22
 神話的思考において象徴的機能を担う動物たちは、他者(非人間界)に直面した人類における極めて重要な価値が付与されている。もとより神話的思考とは「内側から世界を超越する」ための技術として今日まで伝承されているものである。矢野は「動物の存在が、人間の次元を越えた〈脱人間= 芸術〉の次元を開いた」というバタイユの卓見に導かれながら、「動物性を否定することが人間化の過程なら、ふたたび動物性と出会いその深淵に開かれることは、人間を超える道なのである」と述べているが、人間においてかつて一度もその「野性」が絶滅したことはないのである。その証左として、私たちは芸術を持っているのである。
 ではここで少し、俗に時間芸術とも呼ばれる音楽的時間についても触れておくことにしよう。
「音楽を時間本位のとらえ方をすること自体、西欧的な時間の概念に影響されている結果だといえるかもしれない。西欧以外の音楽、とくに東洋の音楽は最初からそれほど時間的ではなかったのではないか、あるいは、少なくとも時間はオールマイティではなく、より複合的な世界におけるひとつの要素であったともみられるからである。」註23
 一柳慧はその例としてインド音楽の理念であるラーガを挙げる。ラーガのつかさどる音楽は宇宙的環境のなかに遍在する超越的な世界であって、それはあらかじめ作曲されることが不可能であるが故に即興演奏が求められるというのである。すなわち「非所有」である。そして、それは作者と鑑賞者とを二項化することのできない溶解体験なのである。だが実際は、クラシック音楽からモダンジャズまで、こうした(音楽)芸術の「非人間性」とそれ故に求められる「没入(愛)」とにかんする認識ついての報告は枚挙にいとまがない。
 では日本ではどうだろうか。一柳は千数百年にわたって秘事として伝承されてきた御神楽がもたらす質的時間についての美しい一文を引用している。
「御神楽の演奏中、時間は殆んど停止している。現実の物理的な時間は時計の針の通りに過ぎていくが、精神的な時間は物理的な時間とは関係なく存在し得る。ヨーロッパの伝統的な音楽の概念は時間の経過として把握されるが、日本の、そして東洋の音楽の概念は空間的でもある。一度発せられた音は、物理的には間もなく消滅するが、精神的にはその場に止まって、次々と堆積してゆく。」註24

第四章 グローバルな時間モデル

「ホピ族にとって時間は、かつてなされたことのすべてが『のちになっていく』ということであるから、おなじようなくりかえしは浪費されるのではなく、蓄積されるのである。それはあとのできごとにまでもちこすような目にみえない変化を蓄積することである。」註25
 B ・ウォーフ(B.L.Whouf)はホピ族の時間観念を分析し、メタモルフォーゼしつづけながらも、過去が現在のなかに刻み込まれつつ蓄積している時間感覚を明らかにした。そこでは「歴史性を内在する物理的な宇宙」としての時間と、「動物、植物、無生物の魂の中、そして自然のあらゆる形、姿の裏や内部にあって自然の魂の中にも現われ存在するもの」としての時間とがある。これはアビ・ヴァールブルクの述べる「残存」(古代的な記憶の示顕)と「症状」(潜在化されているものの示す徴候)とも照合できるものである。
 興味深いのは、アフリカ・カムバ族出身のムビティ(J.S.mbiti)がこれと同様の時間観念を説いていることである。彼に言わせれば、アフリカの時間観念を理解しなければアフリカ人の世界観は決して理解できないのである。そこでまず彼は「アフリカ人にとって実在するものはすべて宗教現象」であることを強調した後、過去に相当するザマニと現在に相当するササについて述べている。両者は相互に延長され、循環をなしているものだが、ザマニとは「ササの基盤あるいは保障を与える神話の時間」であり、ササとは「意識にのぼる生起の時間」のことである註26)。

時制 カムパ語 キクユ語 英語 時間
1. 遠隔未来 ningauka ningoka I will come 2~6 ケ月以内
2. 近接未来 ninguka ninguka I will come ごく近い未来
3. 不定近接未来 ngooka ningoka I will come すぐ先の出来
4. 現在 ninukite nindiroka I am coming 現に起りつつある行為、出来事
5. 現在完了 ninauka nindoka I have just come 1~2 時間前
6. 今日の過去 ninukie ninjukire I came 2 時間以内
7. 昨日の過去 nininaukie nindirokire I came 昨日
8. 遠隔過去 ninookie nindokire I came 一昨日以前
9. 無窮の過去 tene ninookie nindookire tene I came はるかな昔
※ 1~7 が「ササ」、9 が「ザマニ」に相当

【表2 】「カムバ語とキクユ語の動詞時制」J ・S ・ムビティ『アフリカの宗教と哲学』より

「もっとも注目に値するのは、時間が長い過去と現在という二領域に分けられ、事実上未来が存在しないことである。未来の事柄はまだ起こっていないから、認識の対象になり得ない。それゆえ時間の構成要素に数えられないのである。未来は時間として存在しない。」
アフリカの時間観念は、ササからザマニへと遡る非進歩主義的な運動、完成(不死性)への移行である。そしてその運動は「万物の貯蔵庫」である神話的時間によって支えられている。また、そこで神話的パーソナリティを得た祖霊や神霊たちは、アフリカ人の眼前につねに「存在」してきたとムビティは言う。
「神話に登場する霊たちはもともと『時間を超越した』存在である。慣習、観念、制度の起源がなんであったかはザマニの奥深くに忘れさられ、他の方法では説明できない。ザマニの領域に入りこむにつれて厚みをます神秘の幕からなにごとかを引き出し、ササの領域へ戻そうとする試みが、神話を用いた説明なのである。」
 始原であると同時に現在しつづける「非時間性」。物事はすべてその「貯蔵倉」に蓄積され、そこからアレーテイアされる。ゆえに現存する景観は彼らにとって既に神話的時間なのであり、個人もまた先祖の魂と複合した存在なのである。エヴァンズ= プリチャード(E,Evans-Pritchard)もまた、『ヌアー族』註27)において、物事から遊離した客体的な時間は存在せず、原則として未来概念もないことを明らかにしている。こうしてみてくると、逆に、都市文明において発生したクロノロジカルな時間観念が、時間そのものを実体化させたり「未来」を幻視させたりすることを、一つの〈迷信〉として相対化することも可能となってくるであろう。
 日本の古典文学「万葉集」を分析した真木悠介は、その基底にある時間意識を「世界の恒常性(トコ)、時間の可能性(ヲチ)の感覚」註28)としてあぶり出した。だが、これ以後になると、自生的な共同体から抽象された都城空間の設営に照応しながら、土地や神話から遊離(abs-tract)された時間システム(歴史化された時間)の法制化に拍車がかかっていくことになる。こうした権力によって均質化されていく時間意識に対して、真木は「〈野生の思考〉からの離陸」と評しているが、となればヴァールブルクが試みた民俗的な「非時間性」への移行は「〈野生の思考〉への着陸」と呼べるものだろうか。しかしながら、ことはそう単純なものではない。むしろ、それは例えるなら、〈権力(テリトリー)としての公共空間〉と〈アジールとしての公共空間〉との差異に近接したものであろう。テリトリーとは管理・所有の意志において形成されるものであり、アジールとは管理政策の届かない脱属領的で非所有的な「公界」である。この後者の伝統が神話や芸術の基底をなすものであることにヴァールブルクが気づいたのだとしたら、彼は民俗学的知見を通して「〈自己〉への着陸/ 超脱」を指向したのだと考えることが可能となるわけである。ともあれ、それは慣習的な西欧型の芸術= 文化システムにあって、その現象をたんに否定するのではなく、流動化し、そのまま徴候化していくための「着陸」なのである。
 ところで真木は近代的時間観念のルーツをユダヤ= キリスト教(ヘブライズム)に求めている。ヘブライズムもヘレニズムと同様に初期においては無限に回帰する円環的時間感覚が残存していたが、次第にそれは始原(アルケー)から終末(テロス)へと直進する有限で一回性(不可逆性)の時間観念となっていく。その背景として真木は、当時のユダヤ民族の受難期にあって、現在とは異質な未来に希望を抱くことだけが救いとなり得たという心理を読み解いている。そこで「反復する自然の時間性から剥離する一回性としての人間的時間」、すなわち歴史的時間が生まれたのである。ただし、そこから継承されたものは時間表象だけではない。未来への希望に伴って否定されなければならなかったものは「自然」を含む「現に存在するもの総体」であり、その「反・現在的な定立としの不可逆な時間が、救済を可能なものとする唯一の時間形式」として求められたというのである。
「あるがままに存在するものとしての〈自然性〉にたいして、自立的に超越するものとしての〈人間性〉を対置する文化こそが、不可逆性としての時間の観念を切実にレアルなものとする。また同様に、〈共同態(ゲマインシャフト)〉の生きられる共時性の外部に、自立する〈個体性〉相互のあいだの集合態(ゲゼルシャフト)的な連関― 客観化された相互依存の体系を展開する世界こそが、数量性としての時間の観念を実体化する。」
 だが既に述べたように、「客観性」とは、ある基準それ自体の偏向性に無自覚なままで調和や対称性を捏造してしまうことである。それは人間が先天的に抱えている偏向性をもって世界に拓かれるような生態的感覚とは異なるものである。原罪としての〈知〉、それゆえの楽園追放= 死すべき運命、すなわち罰としての〈死〉。この、西欧哲学の無意識にも強迫的に潜在しつづけてきたニヒリズムから人間を解放し得るのは、「永遠」ではなく「共時性」であり、質的な時間の創出なのである。
「『時間の圧力』としてわれわれが感じるものは、客観的に存立する以外には存立の仕様がないような協働連関に、現実の生活過程を依存しているという、市民社会的な関係性のうちに内在する矛盾の圧力に他ならない。」
 真木はここで「自我と時間のこのノエシス的= ノエマ的な崩壊感覚が、離人症とよばれる一群の精神病理とあまりにも符合する」ことを指摘し、その近代的自我と離人症にみられる共通特性として、「非依存的な自力主義者」であることによるリアリティの喪失を挙げている。ただし、この「非依存」とは「物象化的な相互依存」システムのことであって、物象化された時間における〈生きられた共時性〉の喪失とパラレルなものなのである。とはいえ、俗に近代的自我と呼ばれるものが市民社会の専有物であるかといえばそうではない。私の知見では、それは非西欧世界における複合的な人格のなかにも存在する形態であるが、近代社会がその人格だけを採択・特化したにすぎないのである。ともかくこのような〈生きられた共時性〉という関係や配置を喪失された社会にあって、「天才はただ、時代の狂気をより深く身にこうむり、より妥協なく対面するのだ」と真木が述べるとき、そこで想起されているのはM ・プルースト(M.Proust)である。プルーストは周知のように、近代的な自己隔離(非依存)的世界からさらに自己隔離していくという逆説的な「対面」において、固有の〈時〉を見い出そうとした。これはプルーストによる「ムネモシュネ」である。真木もまたこのプルーストの試み、『失われた時を求めて』について、こう評している。
「歴史としての過去の撥無をとおしての、神話としての過去の現在化。」

第五章 アビ・ヴァールブルクの旅

稲妻としての蛇をともなった宇宙
【図2 】ヴァールブルクのノートにクレオ・フレーノが描写した「稲妻としての蛇をともなった宇宙」(1895)
写真:The Warburg institute, London

 1895年、ヴァールブルクは弟の結婚式に出席するためアメリカ行きの客船に乗っていた。そこでたまたまスミッソニアン博物館の関係者と知り合い、古代文化の心理的な継承について話したところ、それならばとニューメキシコの旅に誘われた。そこでヴァールブルクはプエブロ・インディアンの儀礼的世界に触れることとなる。それから30年近くの歳月が過ぎた頃、すでにクロイツリンゲンの療養所に身を寄せていた彼は、この思索の旅で得た草稿をまとめ、「蛇儀礼」註29)講演を行なったのである。
 この講演の意図は始めから明確である。すなわち、インディアンの世界が「わたしたちの文化史記述の全体にとってきわめて重要な意味をもつ問題」、すなわち「キリスト教以前の原始的な人間世界の本質をなす特徴をどこに見いだすのかという問い」である。だが、この問いに答える前に、彼は基本的なプエブロの世界観(アニミズムや装飾の象徴宇宙、そして未来概念の欠如など)について概説しながら次のように述べている。
「インディアンたちは、自然現象や動植物のなかに生きた魂があると考え、とりわけ仮面舞踊によって、その魂に働きかけることができると信じているのです。荒唐無稽な呪術と筋道の通った目的論的思考とがこのように並存することは、わたしたちにとっては分裂の徴候のように見えるかもしれません。しかし、インディアンたちにとっては、これは分裂症的傾向を示すどころか、逆に、人間と環境世界とのあいだの際限のない結びつきの可能性を秘めた解放的な体験なのです。」
 ヴァールブルクは彼らの、異質な思考形態を「分裂」に陥ることなく複合的に「並存」させ得るあり方の、基底にある力として、象徴(神話)的思考を位置付ける。そして、お気付きの通り、この「並存」(もしくは並置)という作法は、彼があの「ムネモシュネ」で実践したものなのである。その作法(アナクロニスム)がレヴィ= ストロースの「ブリコラージュ」とも類同的なものであることは既に述べた。さらにユベルマンは、このヴァールブルクの作法を「モンタージュ」という概念で説明している。すなわち「モンタージュとは、歴史のあらゆるシークエンスのなかで活動している時間の不連続性を視覚的に展開する方法である」というのである。そしてその効果として、「顕在的な不均衡は、ほとんどつねに、潜在的なつながり標識であり、また顕在的な相同性は、ほとんどつねに、潜在的な二律背反の標識である」ことが立ち現れてくるという。となれば、モンタージュもまた非時間的かつ無意識的な働きであると言えるものであろう。それは時間の歴史的(時系列的)な連続性やその因果律の、「外部」に示顕する働きとしての共時性である。この因果的連関からの断絶についてユベルマンはこう述べている。
「ヴァールブルクによる断絶とは、ほかでもない、異質な要素のモンタージュとして時間それ自体を考えたことにある。それは『残存形成』の人類学的教えである。メタ心理学の平面における『症状形成』の教えは、それときわめて見事に対応する。」
 おそらく、共時性といわれているものとは、殆んど無意識的な共感(転移)を包括する働きであり、限りなく象徴レベルに近接したセンス(意味傾向)を湧出させる関係性なのであろう。そう考えると、真木悠介が、16 世紀トリエント宗教会議において「多声音楽ポリフォニー」に対する禁止令が提出された事件に対して、ポリフォニーが近代的な「時間の計量化」によってではなく「内的な共時性」を通して実現される「土俗」性を象徴していたからだと推察することにも頷ける。すなわち、「ポリフォニー」と「モンタージュ」もまた時間モデルを介してみれば類同性をもつものなのである。こうしてみれば、インディアンにおける神話的「並存」の作法が彼らに「環境世界とのあいだの際限のない結びつき」を実現させることは、質的時間がもたらす必然なのである。
 さてヴァールブルクは、彼が実見したアンテロープ舞踊(動物の模倣)やカチーナ舞踊(雨乞いと樹木信仰)について触れ、「ここでは、自然の生成と消滅が、人の形をした象徴のなかで姿を現わしています」と述べている。
「神話の実体のなかにわが身を滑りこませて、その超人的な力に与ろうとする呪術の本質は、メキシコ人たちの祭式が、そのおぞましくも劇的な形態のうちに示しています。」
 
〈蛇儀礼〉においてガラガラ蛇を銜えるインディアン
【図3】〈蛇儀礼〉においてガラガラ蛇を銜えるインディアン(1924)
写真:The Warburg institude, London
ヴァールブルクの最初の問いが再び俎上にのせられるのは、モキ・インディアンの蛇儀礼(雨乞い)に関する考察においてである。彼はまず、この儀礼の概要について説明する。
「洗礼を受けた蛇は、インディアンたちとの共同作業に容赦なく参加させられて、雨を刺激し、雨が降るように人間にかわって祈願することになります。この蛇たちは― 動物の形をした生きている聖人としての雨蛇なのです。… 儀式は、次のようにして最高潮に達します。すなわち、この茂みに近づき、生きた蛇をつかまえて体にもち、そして、その蛇を使者として草原に放つという順序です。」
 ここで彼が想起するのは、やはり古代ギリシアのディオニュソス教における祭儀でマイナデス(ディオニュソスに仕える熱狂的な女性信者たち)が髪飾りに生きた蛇を巻きつけ、蛇を手に踊っていたというエウリピデス(Euripides)の悲劇(註10)である。次いで、彼は『聖書』のなかで「偶像としての青銅の蛇が、予言者イザヤの影響のもとで王ヒゼキヤによって破壊されたということ」について触れ、「預言者たちが最も激しい怒りをこめて闘った敵対勢力は、まさに、人間を生贄にして動物を崇める偶像崇拝」であったと述べる。そして、この「蛇殺し」こそが、最近にいたるまでの「宗教改革運動の中核」であったと分析している。ところが、この邪悪と罪の原因として蛇に大きな役割を与えている信仰そのものが、実は、逆説的に「青銅の蛇への奇跡」への信仰、あるいは蛇崇拝(呪術)と結びついていることを彼は見抜くのである。さらに、こうした異教的な結びつきに、彼は宗教の意味や精神化の徴候を読もうとする。意外に思われるかもしれないが、そのインディアン流の解答方式として彼の視野に捉えられているものが、先の仮面舞踊なのである。

「自然における事象の経過を把握できないときに、インディアンは、自分自身をそのような事態の原因へとそのまま変身させることで、把握への意志を貫こうとします。」
 それは異種なる存在としての「他者」やその「象徴」との結びつき(一体化・溶解)という精神化の志向である。つまり、宗教にとって呪術は決して「幼児的な遊び」ではなく、両者はその深層において同じ精神化の指向をもつということなのだ。ただし、それはヴァールブルクによれば、「わたしたちが文明における進歩と呼んでいるものとともに、そのような専念を要求する存在は、その恐ろしげな具体性をしだいに失い」、非在化しているだけなのである。また彼は、神話研究においては自然法則に合理性をもたらす単位が求められているのではなく、「原因を現実として」把握するための包括的な実在が想定されていることについて説明している。自己変容のテクネーを用いて原因水準へ移入する実践においても、原因を現実として把握するための無意識的な位相への没入においても、その精神化プロセスにおいて象徴界に拓かれた神話的思考や芸術的思考というものは、人類にとって必要不可欠な実在なのである。
「神話的・象徴的思考は、人間と環境とのあいだの精神化された結合を求める闘いのなかで、観想空間あるいは思考空間としての空間を創造します。その空間を電気的結合は殺害するのです。」
 ヴァールブルクは最後にこう述べ、壇上から降りた。だが、彼は呪具から衣服、道具、機械にいたるまで一貫してそこに「自分の有機的範囲を越え出てしまう人間の悲劇の歴史」を見つめていた。もっとも、ここでいう「悲劇」とは、神話的時間が詩作= 芸術を〈前に― 押し出す〉働きの代名詞として用いられる述語である。要するに、彼のいう「殺害」とは、宗教時代以降に行なわれているメディア主義的な「蛇殺し」のことであり、神話的・象徴的思考を解さない近代の技術的結合が、「詩作をもたらさない悲劇」という空虚な形式だけを再生産させていくことに対する危惧なのである。

おわりに リージョナルな芸術学のために

 私のいう「非時間性」とは、ことに近代以後、私たちが標準化させてきたクロノロジカルな時間(空間)認識において「非在化」を余儀なくされてきた思考空間のことである。しかしながら、その「非在」は決して「不在」ではなく、たんに潜在化(精確にいえば二重に潜在化)されているだけなのである。しかも、そこで公共性という地位を与えられている客観的な時間モデルというものは、却って、そこに内在化されている「標準」の差異によって表面上の誤解やすれ違いを生み出してしまうものなのである。そこで私たちには、リージョナルな連繋に沿って世界を再現前化していくことが求められているのである。
 紙数の関係から殆んど資料の羅列と見えるこの短文において、私が述べようとしているのは、近代的時間観念という位相において履行されてきた「蛇= ヲロチ殺し」に象徴される脱魔術化と、その原因水準としての「蛇信仰」、すなわち呪術との〈関係〉であり、さらにその関係性において逆説的に地球的規模と看做しうるものとしての芸術および神話の〈資質〉についてである。そこから見れば、近代社会が「芸術の時間」を確立・創造したと考えることはまったく倒錯であり、ヴァールブルクが直感したように、近代型・都市型システムにおける「芸術の時間」とはそれ自体が「残存」に他ならないのである。それは「存在の地」と言い換えられるべきものである。ところが、それはつねに社会的マネージメントにおいては捉えることの不可能な水準にあるがゆえに、「非在化」されてしまうか、あるいはデーモニアックな渾沌、粗野、あるいは時代遅れで凡庸な偽物として表象されてしまいがちな実在となるわけである。とはいえ、緩やかにではあるが、その「芸術の時間」の〈資質〉に気付き始めた人々も少しずつ現われてきている。やはり人類学者ではあるが、その一人である佐藤浩司は、彼の企画した展覧会のカタログに次のように書いている註30)。少々長文になるが引用しておこう。
「私は人文科学の究極目的は人間を構成することではなく人間を溶解することであると信ずるがゆえに、唯美主義者と呼ばれることを甘受する…しかしながら、個別的な人間性を単一の一般的人間性の中に吸収するだけで十分とはいえない…その仕事とは、文化を自然の中に統合し、さらに窮極的には、人間の生き方を物理化学的条件の全体の中に統合することである(『野生の思考』大橋保夫訳, みすず書房P296297)/
歴史は無数の事象のなかから意味のある事象を取捨選択することで形づくられる。歴史はつねになにかのためのものであり、特定の集団を構成する結果にしかならない。それゆえ、レヴィ= ストロースは歴史をしりぞけて、文化という素材をもとにした構造分析をはじめるのである。『野生の思考の特性は、その非時間性にある。それは世界を共時的通時的全体として把握しようとする』(P313)と書くとき、それは彼自身のおこなう構造分析についての説明でもある。そのためには、世界は野生の思考による再構成を受け入れること、しかも、その可能性は無限にひらかれていることが保証されねばならない。」
 また、この企画に参加した美術批評の山下里加は、初めて人類学的思考に触れた衝撃的体験についての、興味深いドキュメントを記述している。
「8月3日。すずかけ絵画クラブで佐藤は… レヴィ= ストロースの神話の研究と、記憶を貼り合わせた富塚作品には通じるものがあると話した。そこに〈ブリコラージュ〉という言葉が出てきた。物だけでなく、記憶や出来事などの時間軸も組み替え可能である、という考え方に私は強い衝撃を受けた。時間が一方向に流れない世界観があるなら、美術批評の拠り所であった『美術史』が無効になる。『現代美術』とは、造形美でも教育でもなく、近代の歴史観によって輪郭を保っているものかもしれない… 。その新しい思考法に興奮していた。『現代美術』と『アウトサイダー・アート』の境界線が『歴史』ならば、それを無効にする手法もあるように思えた。」(註30
 ここにも再魔術化へのコペルニクス的転回がある。もちろん、この「新しい思考法」の内実については、すでに人類学者はもとより、リージョナル(≠ ローカル)な個人性をその主体変容(融合)技術において体現してきた芸術家たちならば、充分に心得ているはずである。そして、つねに示顕し続ける意味において「新しく」、同時にもっとも「古代的なもの」でもある、この、五大陸以上の広域にわたって認知および伝承されてきた「神話= 芸術的時間軸/ 世界観」こそが、もっともグローバルかつ基層的な思考法なのである。ただし、既に述べたように、それは近代主義的な「理解」と「所有」の度合いが生み出すパースペクティヴにおいては、蒙昧にして〈遠い〉時空間にあるもの、もしくは脱魔術化(合理化・数量化)の過程で生じた残滓やノイズにすぎないもの(反動的要素)として、安易に排除されてしまいやすい傾向にある。だが、そのような「蛇殺し」によるフラットな管理空間におもねるよりも、例えば、見立てられた一輪の野花を〈生の時間〉において誰に贈与しようかと想い馳せることのほうが、実際は見晴らしがよいのである。なぜなら、〈失われた時〉は、つねに「存在の地」として、私たちのもっとも卑近な物事にあまねく溶解しているものだからである。

註・引用文献
(註1) 『失われた時を求めて第7 篇見出された時』 マルセル・プルースト 鈴木道彦 訳 集英社 (2000.2001) 戻る
(註2) Levinas,E.,1978 ‘De l'existence a l'existant' Vrin 戻る
(註3) 『他者と死者― ラカンによるレヴィナス』 内田樹 海鳥社 (2004) 戻る
(註4) 「贈与論― テクネー, もしくは非対称性思考についての芸術人類学的考察― 」 中島 智 武蔵野美術大学研究紀要 No.36 (2005) 戻る
(註5) 「アートの極東― リージョナルな美学のための芸術人類学序説― 」 中島 智 武蔵野美術大学研究紀要 No.35 (2004) 戻る
(註6) 『残存するイメージ― アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』 ジョルジュ・ディディ= ユベルマン 竹内孝宏他 訳 人文書院 (2005) 戻る
(註7) 「美術史を開く」 田中 純『残存するイメージ』(前出)に所収 戻る
(註8) 『アビ・ヴァールブルク― 記憶の迷宮』 田中 純 青土社 (2001) 戻る
(註9) 『ムネモシュネアビ・ヴァールブルクの図像世界』 松枝 到他編 和光大学表現学部イメージ文化学科 (2001) 戻る
(註10) 「悲劇」におけるディオニュソス型の知性= 芸術的思考については『ディオニュソスの詩学』(チャールズ・シーガル 山口拓夢 訳 国文社 2002)を参照のこと 戻る
(註11) 「失われた世界の復権」『未開の文明』 山口昌男 編 平凡社 (1969) 戻る
(註12) 『文化の窮状― 二十世紀の民族誌、文学、美術』 ジェイムズ・クリフォード 太田好信他 訳 人文書院 (2005) 戻る
(註13) 『日本中世に何が起きたか― 都市と宗教と「資本主義」』 網野善彦 洋泉社 (2006) 戻る
(註14) 『ポンピドゥー・センター物語』 岡部あおみ 紀伊国屋書店 (1997) 戻る
(註15) 『みるきくよむ』 クロード・レヴィ= ストロース 竹内信男 訳 みすず書房 (2005) 戻る
(註16) この結論は私自身のシャマニズム研究においても賛同できるものである。拙著『文化のなかの野性― 芸術人類学講義』(現代思潮社2000)を参照のこと 戻る
(註17) 『神話がわたしたちに語ること』 カレン・アームストロング 武舎るみ 訳 角川書店 (2005) 戻る
(註18) 『聖と俗宗教的なるものの本質について』 ミルチャ・エリアーデ 風間敏夫 訳 法政大学出版局 (1969) 戻る
(註19) 『人類学再考』 エドマンド・R ・リーチ 青木保他 訳 思索社 (1974) 戻る
(註20) 「境界の時間」 青木保 『文化の現在7 時間を探検する』 山口昌男 他編 岩波書店 (1981) 戻る
(註21) 中国における質的時間(=時間化された空間) については『比較芸術学』(C・D・フライ創文社 1961)を参照のこと 戻る
(註22) 『自己変容という物語生成・贈与・教育』 矢野智司 金子書房 (2000) 戻る
(註23) 「音楽における時間と空間」 一柳慧 『文化の現在』(前出) に所収 戻る
(註24) 「くにぶりの論理― 御神楽」 木戸敏郎 (同上論文に所収) 戻る
(註25) 『言語・思考・現実』 ベンジャミン・ウォーフ 池上善彦 訳 弘文堂 (1978) 戻る
(註26) 『アフリカの宗教と哲学』 J ・S ・ムビティ 大森元吉 訳 法政大学出版局 (1970) 戻る
(註27) 『ヌアー族』 エヴァンズ・ブリチャード 向井元子 訳 岩波書店 (1978) 戻る
(註28) 『時間の比較社会学』 真木悠介 岩波書店 (1981) 戻る
(註29) 『蛇儀礼― 北アメリカ、プエブロ・インディアン居住地域からのイメージ』 アビ・ヴァールブルク 加藤哲弘 訳 ありな書房 (2003) 戻る
(註30) 『ブリコラージュ・アート・ナウ… 日常の冒険者たち… 』国立民族学博物館監修青幻舎(2005) ちなみに、同様の試みは多摩美術大学の中沢新一氏や東北芸術工科大学の赤坂憲雄氏たちによっても始められている。本学においては‘Agora Musica’ プロジェクト(http://www.musabi.ac.jp/folkart/)を参照のこと。 戻る
追 記: 本稿は2006年度武蔵野美術大学研究紀要委員会より「専門家」においてさえ理解不能との理由で掲載拒否されたものであるが、脱魔術化プロセスを時間論的構造をもって概論した本稿は、当サイトより寄稿依頼のあった「再魔術化するアート」の〈序論〉に相当する内容であるため、ここに掲載していただいた。また、掲載にあたっては北澤憲昭氏、提髪明男氏、吉原沙織氏、および「現場」研究会スタッフの方々に御尽力いただいた。記してお礼に代えたい。
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