中島 智(武蔵野美術大学/芸術人類学)
抄録
ある種のテクネーにおいて、人為的合理性の外部にある〈欲望〉と出遇ってしまったとき、人はその過剰のシミュラークルとしてしか生きられないリアルを覚知し、それまでは自らの主体によって関与してきたと考えていた世界がじつは限定された〈学習・模倣された欲望〉の反復にすぎなかったということに気づくのである。〈欲望〉というものは、無意識と同様、社会的意識(=欲求)においては非在化されざるをえないものだ。しかしながら、それはことに技芸的世界において、往昔から今日にいたるまで“survival”し続けてきた実在なのである。そしてさらに〈欲望〉の次元は、メビウスの環のごとく捻転し続けている情報化社会において、その模倣的反復そのもののシミュラークル化とともに、日常に滲出しはじめている。
本稿では、「再魔術化」という近代末期のシーニュを、こうした〈欲望〉のさまざまな示現化(精神化)プロセスを素描していくための端緒として位置づけることにした。
-目次-
序 一輪の野花を見立てるということ
1章 〈近代〉に仕組まれた非合理性
2章 再-魔術的芸術の視座
3章 society・外部・〈動物化〉
4章 情報化社会における〈欲望〉
5章 シミュラークルの次元
結び Inner-formationの風景