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●2005年11月5日(土) 「現場」研究会討議記録

テーマ:韓国で行われた「文展・鮮展・台展をめぐるシンポジウム」について
ゲスト:佐藤道信(日本美術史・東京藝術大学) 古田亮(東京国立近代美術館)(敬称略)

◇10月1日、韓国で、日本・韓国・台湾からのパネラーを招いた国際シンポジウムが開催された。主催は韓国美術史学会。プログラムは、午前に「制度編」、午後に「作品編」についての発表、最後にコメンテーターと発表者による質疑応答、という構成だった。

韓国近代美術史学会は、1942年に設立された学会である。今回のシンポジウムは、戦後60周年記念ということで企画された。

現場研究会では、このシンポジウムに日本からのパネラーとして参加した佐藤氏と古田氏をゲストに呼び、シンポジウムの帰朝報告を中心に(シンポジウム同行者の発表を交えながら)討議を行った。(レジュメとして、佐藤、古田両氏の発表要点+上野美術研究会メンバーによる報告資料を配布)

参考記事

[韓国パネラーの発表について]

韓国では、日本近代の歴史について学ばないと、自国の歴史も検証できない状況にあるためか、日本近代美術についてよく勉強しているという印象を受けた。日本近代ではタブーとされている事象についても、韓国では研究がすすんでいるようだ。

90年代以降、近代美術研究が活発化している。その背景には、東西体制の崩壊、経済成長、大統領の政策、あるいは民族意識の成長といった要素が影響しているのだろうか。「近代」をどの時代に設定するかという問題は、国によって異なる。韓国の美術史では、近代を設定せずに、いきなり戦後・現代へと接続する歴史が形成されている。

民族意識と植民地意識のはざまにある問題として、郷土色(ローカルカラー)の研究が非常に盛んなようだ。

韓国パネラーの研究者二人は、東洋画と西洋画の主題分析、韓国の鮮展(いま韓国では朝鮮展と呼ばれることが多い)と日本の官展の違いなどを中心に発表を行った。

鮮展と官展の最大の違いは、「書」のジャンルが途中から加わった日本に比べて、韓国でははじめから「書」のジャンルが組み込まれていたことである。

そもそも中国では、日本人が言うような「西洋/東洋」という枠組みが存在しない。

[台湾パネラーの発表について]

同じ植民地でも、韓国とは違ったムードが形成されている。

台湾パネラーのシェ・リハは、台湾近代美術史の形成をいちから立ち上げた重要人物だが、今回のシンポジウムでは制度史的な観点から発表を行っていた。一方、もうひとりのパネラーであるリン・ユーチェンは、台展に出品された作品に基づいた作品論を展開した。台展の展示は、東洋画/西洋画のみ。

植民地文化政策は、台湾と韓国で異なる。韓国では植民地政策に対する反発が強かったが、台湾の場合はそうでもない。台湾をゼロからつくりあげていく、という発想は、日本側からも台湾側からもあった。韓国は、中国と陸続きであることの影響があり、王朝からの関与が避けられなかったのではないか。

[日本パネラーの発表について]

〈佐藤氏の発表〉(佐藤氏は、日本の「制度編」パネラーを担当)

シンポジウムでは、近代日本における官展の成立と展開について発表した。発表内容には、ジャポニスムの問題を絡めた。パネラーから、ジャポニスムは西洋化政策の一環として取り入れられたのではないか、という指摘があったが、自分としては、そのこと自体が西洋に発信するための方法だったのではないかと考えている。当時、ジャポニスムとして国際規模で認められていたのは工芸品だったが、西洋に向けて発信するには工芸が「美術」として受け入れられなければならなかった。東国文化を示す場として、西洋型の美術館が必要とされた。

文化振興政策の一環として、日本では、官展・文展が組織されるが、1910年代にはジャポニスムが終息してしまう。明治期の文化政策はほとんどジャポニスムを前提としてつくられていたと思うが、それが全部終わってしまい、西洋一辺倒に傾いていた政策が、対国内・対東洋へとシフトされる。ジャポニスムの日本美術観は変えられないまま、官展となり、植民地展となり、アジアへ移行したのではないか。

〈古田亮の発表〉(古田氏は、「作品編」のパネラー担当)

シンポジウムでは、文展〜帝展の時期の日本画に絞って発表した。

大衆のための作品傾向が膨れ上がって、一般的に「帝展型」と呼ばれて批判されるような動きがあったことを示した。「帝展型」ばかりが日本の官展の傾向を占めるわけではないので、何人かの重要な作家を具体的に挙げてみた(玉堂、清方、平八郎など)。世代の違う作家を意識的に選んだ。大正期の写実的な描法以降、ひとりひとりの解決法を持って、「帝展型」の作品が並ぶ会場の中で、作品の良さを打ち出した画家たちである。これらの画家たちは、「帝展型」の画家たちとは逆の方向へ進んでいったのではないかと思う。例えば、大きすぎない作品のサイズ、色彩の洗練化、平八郎の作品に顕著に見られるモダン意識など。

いわゆる「帝展型」と呼ばれる作品群の分析については、韓国のキム氏から「政府の統治が進むなかで、作品の傾向も規格化・統治化されていったのか」というような質問を受けた。なぜ「帝展型」が生まれたのか、その理由は競争の原理から来ているのではないかと回答した。

〈ディスカッション〉(一部)

発言者1「ひとくちに郷土色(ローカルカラー)といっても、どういうものがイメージされているのか」

佐藤「台湾では、郷土色が否定的なものとして捉えられているわけではない。韓国では、郷土色は、求められてつくられたもの、という感じ」

発言者2「韓国の場合は、文化や生活が郷土色の根底にあるのかもしれないが、台湾の郷土色には『自然』が関係していると思う」

発言者3「自然と郷土色の関係は、都市のことを考えれば一概に言えないと思うが…」

古田「権威の問題は、文展にせよ官展にせよ、どういう権威だったのか、誰に対しての権威だったのか、国が違えば権威のあり方が異なると思う。」

発言者2「そもそも国家に権威はあるだろうか。権威と権力で、また意味が違う。」

古田「権力とは、抵抗する内部があってこそ、『権力』と呼ばれる。」

発言者4「展覧会の審査基準は一体どこにあったのだろうか。」

発言者5「文展では実際に絵を売っていたから、市場価値も絡んでいるのでは。」

佐藤「韓国では、伝統と現代の問題が乖離していることが、美術史上でしばしば言及される。この現象は一体何なのだろうと、常々疑問に思っていた。韓国の場合、近代は日本の政策によって認められない時代があったため、近代が存在しない。近代は、日本の経由でしか成立しなかった。韓国は、自己規定においても、日本の見方が介入しているから、相対化もままならない。近代を扱うことは、現代の問題でもある。」

発言者2「西洋観を否定して、現代と前近代を結びつける発想は日本にもあったわけで、問題なのは、伝統と近代が結びついているところだろう。」

古田「韓国は、残っている作品が圧倒的に少ない。ほとんどが図版を使っての作品分析だ。イメージ分析など、アプローチの方法は色々あるだろうが、実物がない、という状況にすぐ直面してしまう。」

佐藤「韓国に行って、街の看板にせよ名刺にせよ、漢字を使うことが少なくなっていることに驚きを感じた。ほとんどがハングル文字による表記になっている。」

発言者4「いまや漢字は外国語教育として学ばれているようだ。」

佐藤「中国には、周辺の地域まで含み入れた世界観がない。中国美術史や東洋美術史なるものも存在しない。」

(記録/complex編集部)

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