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mailto「現場」研究会について今月の「現場」研究会
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先日の「現場」研究会では、皆様お疲れさまでした。

先月の運営後記のようなものを書こう書こうと思い、
もう10日以上が経過してしまいました…。
夏の暑さと夏の切なさに押し挟まれて、
運営日誌がおろそかになっていました。

もう梅雨も明けたことだし、ここは元気よく行きたいと思います☆


7月は、暮沢 剛巳さんをゲストにお迎えし、
リスボン建築トリエンナーレの帰朝報告をお話し頂きました。

リスボン建築トリエンナーレは今回が初めての開催ということもあり、
まさに現場の新たな動きを感じさせられるお話でした。
また、同展の「アーヴァン・ヴォイド」という全体テーマは、ポルトガル
の場所性と深く関り合うテーマであるのみらず、共時性のあるテーマ
設定としても、リスボン建築トリエンナーレの今後を期待させる内容と
して、興味深かったです。

さらに当日、暮沢さんからはポルトワイン(赤)をご馳走になりました!
とっても美味しくて、裏犬さんお手製の燻製ともとてもよく合いました。

美味しいポルトワインが、ポルトガルのお話を喚起させるという、
味わいのある現場研となりました☆


●2007年7月28日(土)「現場」研究会討議記録

テーマ:美術と建築――リスボン建築トリエンナーレ基調報告
ゲスト:暮沢剛巳氏(美術評論家)

●要旨
 2007年度の夏、ヴェネツィア・ビエンナーレ、ドクメンタ、ミュンスター彫刻プロジェクト、バーゼル・アートフェアをはじめとして、ヨーロッパの各地で大きな国際展がいくつも開かれた。海外の国際展の動向にも詳しい暮沢氏をお招きし、数ある国際展のなかでも今年第1回目を迎えたばかりのリスボン建築トリエンナーレについてのお話を伺った。

●暮沢氏の発表
昔は国際展というとヴェネツィアやドクメンタなどが有名であったが、90年代以降になるとヨーロッパだけではなく、アジア・アフリカ地区などでも開催されるようになった。冷戦抗争の崩壊によってリアリズムが変化を蒙り、アジア・アフリカ圏のアーティストたちの新しい表現の受け皿となるような、今までとは違う展覧会が組織される必要性があった。また、アートを通じて自国の文化を海外的にPRしていこうとする動機も考えられる。これは東ヨーロッパ、中国や韓国などに特に顕著な傾向である。このようないくつかの動機が関係して、国際展は様々な地域に普及していった。

また近年では、建築の国際展も開催されるようになった。代表的なものとしては、ヴェネツィア・ビエンナーレがまず挙げられる。最近では1年おきに美術展と建築展が開催される形式が定着しており、今年は美術展が開催された。その他には、21世紀から始まったオランダのロッテルダム建築ビエンナーレの国際展が有名。これは今年で3回目を迎える国際展である。ロッテルダムはアムステルダムのような文化都市とは対照的なビジネス都市であり、比較的新しい建築が多く見られる。オランダではOMA、MVRDVなどの世界的に注目されているような建築が生まれつつある。今年が第1回目となるリスボン建築トリエンナーレも、そうした流れに対応した新しい国際展のひとつである。
開催時期は5月から7月にかけて、会場はリスボン市内で5〜6箇所に分かれている。建築家を招いた国際会議やさまざまなイベントも開かれるということで、今回、こちらの国際建築展を見に行ってみた。

ポルトガル全体の人口は約1千万人、60〜70万人の人口を誇るリスボンは国内随一の大都市である。地理的にはポルトガルの中心地にあり、地下鉄4路線と郊外に通じる海岸線が通っている。伝統的な都市景観と再開発された人工的な都市景観が混在した街である。
リスボンの建築展には、ホスト国を含め全部で13カ国が参加している(ポルトガルのほか、ドイツ、カナダ、チリ、中国、スロベニア、スペイン、フランス、オランダ、アイルランド、メキシコ、モザンビーク、日本が国別参加形式で参加)。テーマは「アーバン・ヴォイド」(Urban Voids)。なぜこのようなテーマが浮上したのか、まずポルトガルの歴史的・政治的背景を振り返る必要があるだろう。
20世紀のポルトガルは、長い間ファシズム政権下に支配されていた。エスタド・ノヴォと呼ばれる独裁政治が1975年頃まで続き、ヨーロッパの中でも海外植民地を最後まで持っていた。75年に独裁体制が崩壊すると海外植民地を全て手放し、ヨーロッパ最貧国に転落するほどの経済的打撃を受けたため、都市の再開発が行われず、古い街並みが残った。アーバン・ヴォイドのヴォイド(空間、虚空、空白などの意)はこのような背景に由来する部分がある。とはいえ古い街並みは観光地として有効活用され、98年にはリスボンで万博が、2004年にはサッカーのヨーロッパ選手権も開催されている。またEU加盟も果たし、国家的活動が盛んに進んだが、それでもなお都市の再開発は進まなかった。古い都市の風景がそのまま残っているという意味でも、アーバン・ヴォイドというテーマが適用されたのだろう。

ポルトガルの現代美術は国際的に知られていると言いがたいが、その半面で現代建築の水準は非常に高く、アルヴァロ・シザのように世界的に著名な巨匠もいる。今回のメイン会場だったポルトガル・パヴィリオンも彼の作品だ。ただ、シザをはじめとする多くの建築家は北部の地方都市ポルトを拠点としていて、リスボンは軽視される傾向にある。そのため今回のトリエンナーレには、ポルトガル建築の優秀性を他国に アピールしようという対外的な側面に加え、ポルトに対して首都リスボンの威厳を誇示しようとする対内的な側面も混在していると考えることができる。
アーバン・ヴォイドというテーマに関して付け加えておくと、都市論の文脈では、ケヴィン・リンチが『都市のイメージ』という本を執筆している。リンチはこの本の中で都市の構成要素を5つあげている。その構成要素とは、「パス」paths(道路・通路)、「ノード」nodes(結節点・ポイント)、「エッジ」edges(周縁)、「ディストリクト」districts(地域)、「ラントスケープ」landscapes(風景・景観)。しかし、ヴォイドというのは、この5つのどれにも該当しない都市の空間のことではないだろうか。ポルトガルの都市で行われる建築展にヴォイドというテーマを与えるのは本当によく合っていると思った。 実際にリスボンを訪れて実感したことは、昔の文化的な都市空間と現代的な人工の建物が今一つうまい具合に融合していないということだ。市街地の中心部に古い史跡が残っていて、白い街の美しい景観は残っているけれど、現代的な生活に合わず、機能的ではない。逆にポルトガル・パヴィリオンの海岸線の隣には、ヴァスコ・ダ・ガマ・ショッピングセンターなどが並び、ロープウェイも走っている。美しいけれど、これはこれであまりにアーティフィシャルすぎて味気ない。

参加国がそれぞれのヴォイド感をいかに表現するか、展覧会でどう反映するかがリスボン・トリエンナーレで問われる課題であった。国によって展示の仕方はそれぞれ違い、立体建造物や模型を作っている国、パネル展示を行う国など方法は様々だ。アイルランドの場合、ダブリンの都市景観に関する11の都市計画が示されていた。オランダは、ロッテルダムの都市計画、OMA、MVRDVなどを中心に最近行っているプロジェクトを発表。南北に細長く伸びる国土をもつチリの場合、アマゾンやジャングルに近い熱帯気候である北部とフィヨルド的な気候である南部の激しい風土差に対応してヴォイドというテーマが捉えられている印象を受けた。カナダは、持続可能性をもつ河川の工事や環境問題などのパネル展示が主体。環境展示にヴォイドという言葉をあてた内容だった。メキシコの場合は、アメリカと国境を接しているということもあり、移民社会のあり方をヴォイドで喩えていた。スロベニアは、世界的に有名な建築家などの建物を全面的に紹介した展示となっており、中国の場合は、客絵をコミュニティーのフィールドでヴォイドに見立てた展示であった。もっとも、パネルや映像の展示だけで済ませた参加国も散見されたのには拍子抜けした。

では、五十嵐太郎がキュレーターを務めた日本の展示はどのようなものだったのか。4つほどに分けられたセクションのなか、「Architectural Tokyo in Photography」と題されたプロジェクトがあった。これは建築家や写真家がユニットを組み、それぞれの判断でヴォイドを探していくという試みである。例えば空き地、白い壁、無人の住宅などをヴォイドにあてはめているという発想。これは、彦坂尚嘉と新堀学の「皇居美術館空想」にも共通している。現在、日本には、大英博物館やルーブル美術館などに匹敵するような大美術館・博物館はない。しかし、唯一「空虚」を見出すことができるならば、それは皇居の中である。皇居にスペースを作り、その空いた空間に国宝や名品を集め、絵画編、建築編、彫刻編、工芸編など4つか5つくらいのセクションに分ける。彦坂らのプランはこのようにして大英博物館やルーブル美術館級の、世界に誇る大ミュージアムを東京にも成立させるというものだ。ロラン・バルトが「空虚な中心」と称したように、東京最大のヴォイドといえばやはり皇居を置いて他にない。東京のアーバン・ヴォイドとして皇居を提示したのは、奇をてらっているようでいて実はきわめて正攻法の展示だったのではないかと思う。

第1回ということもあり、予算や実施体制の面で多くの課題が残ったことは間違いないが、リスボン建築トリエンナーレを開催した意義は大きかった。国際展がいま盛んに行われている中、美術展以外にもこのような国際建築展を開催することは意義のあることである。ただそれを日本で実践しようとするならば、アーバン・ヴォイドのような魅力的なテーマ設定が必要になってくるだろう。テーマ設定は諸々の条件によって変わっていくことだけれども、考えていく余地は大いにあるかと思う。

(記録/complex編集部)

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