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mailto「現場」研究会について今月の「現場」研究会
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5月の研究会では、美術ドキュメンタリストの中島理壽さんをお迎えしました。
 
美術展覧会のカタログの年譜や参考文献表、資料編などで中島さんのお名前を頻繁に目にしている方も多いのではないかと思います。たとえば、近年の仕事では『瀧口修造—夢の漂流物』(2005)の中の「タケミヤ画廊で開催された展覧会の記録」を編纂されています。
また昨年末には『美術家書誌の書誌—雪舟から束芋、ヴァン・エイクからイ・ブルまで』を上梓されました。

お話が始まってまず印象的だったのが、中島さんにご用意していただいたレジュメとこちらで用意した資料について、資料作成方法の違いの指摘を受けたことです。中島さんの用意されたレジュメはプリントの角を一枚ずつ丁寧に糊付けして綴じたものであり、私たちが用意したものはホチキス留めだったのです。日本は湿度が高いため、ホチキスでは時間が経つと錆びてしまうのだそうです。資料の長期保管にはヤマトノリの持ちが一番よく、新聞のスクラップに使用するときなども紙の痛みが少ないというお話でした。 

その配布されたレジュメにも、中島さんの仕事に対する姿勢が端的に表れていました。一枚のプリントの中で、見出しとそれについての内容がきちんと収まる構成になっているのです。そのほか見出し項目に対し内容が二字下げになっていることなどにも、こだわりが見られました。使う人が使いやすいものを、そして余計なことは省いてシンプルに作るという意識がレジュメひとつからも感じられ、たいへん興味深かったです。
このように資料編纂のあり方を「表現」のひとつとされる中島さんのお話を受けて、現場研メンバーからは資料編纂の現状やアートライブラリーに対するヴィジョンや後進の育成などの課題についても質問が飛び交いました。話題が多岐に渡り、大変、盛り上がりました。

自分が欲しいと思う資料を作る、そして資料作成という実践を通して批評を行う、それが中島さんの資料作成におけるスタンスのようです。

今回、このようなかたちで中島さんのお話を聞く機会はめったにないことだったと思います。実は、後日に中島さんに伺ったのですが、これまで人前でレクチャーされることはあまりなかったそうです。

これから卒論制作にあたって初めて参考文献表の作成や資料の読解に挑む学生メンバーはもとより、既に何度も資料編纂に関わってきたメンバーにとっても刺激的な時間となりました☆(K.N)


●2008年5月17日(土)「現場」研究会討議記録

展覧会カタログの年表の編纂等を行っている美術ドキュメンタリストの中島理寿氏をお招きし、その軌跡と専門書誌のあり方についてお話を伺った。

テーマ:美術情報の集積と表現――美術ドキュメンタリスト30年の軌跡
ゲスト:中島理壽

 はじめに
  副題で「美術ドキュメンタリスト30年の軌跡」とつけたのでこれを機に自分の略歴を書いてみた。これまでたくさんの作家の略歴を書いてきたが、随分きついことをしてしまった、気恥ずかしいものなのだ、と感じている。
  私の作成したレジュメは左側を糊で、研究会の用意した資料はホチキスでとめてある。日本は湿度が高くホチキスはすぐに錆びてしまうので、長期に保存する場合、ホチキスや化学的な糊を使ってはいけない。ちなみにこの糊は30年来ヤマト糊を使っていて、かなり昔の新聞を貼った資料もまったく劣化していない。「現場」研究会ということで、現場の話を出来るだけ伝えていきたい。

1、美術情報の収集方法と課題
 ここ5年程はインターネット検索を用いた蔵書横断検索、雑誌記事索引等が可能になり、公共図書館で新聞を中心とした情報検索も、昔は縮刷版やマイクロフィルムであったが、CD-ROMなどに変わり、最近は便利なツールが増えた。アート・ライブラリー(ここでは仮に美術館の美術図書室を指す)も増加し、利用しやすくなった。情報収集の流れは、まず編纂書にあたることが基本となる。具体的には『日本美術年鑑』、雑誌の総目次、展覧会カタログの巻末にある資料編などをチェックして自分の取り組むテーマについて調べ、さらに情報検索が進むと現物の調査が始まる。私の場合、まず『日本美術年鑑』が基本図書になり、仕事がくるたびに全ページに目を通す作業を何度も繰り返しおこなってきた。現在は、東文研HPに美術年鑑の展覧会記録が検索できる「近現代美術展覧会開催情報」もできた。
 このように、データベースや編纂書の利便性はあがっているが、肝心な資料編纂の内容は20年経ってもあまり変わっていないという印象を持っている。蔵書目録やアート・ライブラリーのHPを見ても、余計なデータに多く引っ掛かり、ずばりその項目にたどりつけない。例えば、「日展」とひくと、“日” “展”の文字が入っている展覧会がどっと引っかかり、肝心の「日展」は最後の方に出てくる。または、編纂物のなかでその資料について記述しているが所在の明記のない場合がある。美術界あるいは美術館界の風習なのか、資料を持っていることが価値であって公開すると価値が失われてしまうという錯覚があり、なるべくオリジナルの資料は所在を明記しない。さらに、孫引きが頻発するため、原資料が無くとも情報を記述されるなど、問題点は多くこの現象に追い討ちをかけている。
 では、所在のわからない資料を入手するにはどうするか。まずは古書店を探すこと。古書好きの人達は、珍しいものを入手したという気持ちが出るが、私の様な職業は珍しいものだけでは仕事はできない。むしろ、どこにでもある実用の展覧会カタログが必要になってくる。次に、どこにもない資料をどうすれば少なくできるか。これはやはり、アート・ライブラリーを中心として受け入れ体制の確立が必要。例えば、作家について調べるにはその作家が持っている資料を家捜しするのが一番。古い資料を捨てる作家もいるが多くの方はきちっと残しているにもかかわらず、こうした資料も受け入れ体制が確立していないためこの30年間次々に失われている。もう一つは、待訪書目という考え方が参考になる。中国では金石学が発達しているので、在る資料と欠けている資料とが共にはっきりしていて、図書館では探している書目をリストアップし公開することが可能となり、さらにそれをみた人がその図書館にない資料の寄贈を申し出ることができる。つまり、欲しい資料の訪れを待つことができる。日本の美術界でもこの考え方を広める必要があるだろう。ただし、こういうものを作るには調査が進んでいることが前提のため、しっかりした書誌や的確なデータベース構築が必要となる。
 先ほど、現在のアート・ライブラリーのHPについて申し上げたが、しっかりした目的意識を持ってこれらを再構築していかなければならない。お手元に『美術新報』の総目録を配布したが、従来の雑誌の目次は、創刊号から終刊号までその号に何が書いてあるかを列記した「総目次」だ。これだけでは、資料の全体像を示すには片手落ちなので、分類目録を作る必要がある。それも、人物編と主題編さらに図版目録が必要。逐号目録、分類目録、図版目録、この三点そろって「総目録」。このように、全体像の提示を常に考えていくことが大切になってくる。
 では、編纂物に関するこれらの課題にどう向き合うか。最も重要なのは、編纂物・データベースに対する批評の確立。現状では、情報を網羅することの難しさが壁となっていて、他の人の作成物に対してとやかく言えないところがあり、編纂書は相互批評が皆無に近い。だが、編纂物は網羅性と同時に「表現」に価値があるものでもある。この「表現」に着目することによって批評が可能になるのではないだろうか。批評の確立と同時に、ここ30年のアート・ライブラリーの歴史の中で、アート・ライブラリーが見失ったものに対する検証、さらには、美術館における情報編纂の現状に対する検証されなければならない。現状では残念ながら荒涼たる状況であると認識している。例えば、美術館業務は民間に任せられないという視点があるが、私から言えば逆で、編纂の仕事は民間を見習って頂きたい。資料を扱うというのは、どこの機関が行うかが問題なのではなく、美術、そして作家とどのように向き合い、どのように理解するかに尽きる。最近の『日本美術年鑑』は、例えば、高山辰雄さんが日展にどのような作品を出品したかという情報がどこにも無く、文献データが山の様に出ている。しかし、研究論文も重要だが美術にとって中心はやはり作家や作品ではないだろうかと私は思っている。美術年鑑だけではなく、美術館の編纂物も同様の傾向にある。美術館の編纂の仕事が美術界の現場から離れてしまってはいないだろうか。だからこそ専門職としての美術ドキュメンタリストの育成が必要である。

2、アート・ライブラリーの歩みと課題
 日本で最初の本格的な公開美術館図書室は、1976年6月に東京都美術館(1975年9月新館開館)の地下室にオープンした。コピーサービスもなく、平日のみの開室という変則的な暫定開室だったが、紹介状無し予約無し誰でもいつでも閲覧できる美術図書室を目指し実現させていった。学芸員も閉架書庫に入って利用出来るようになった。現在これができないアート・ライブラリーが多いと聞くが、専門職員が書庫を使えないのは困った状況だと感じている。ちなみに年間予算は100万円。雑誌と全集もの、著作集を買うと新規に単独の書物の購入は一切できなかった。そこで考えたのは、資料を貰うこと。収集の柱は、美術雑誌と当時充実し始めていた展覧会カタログとした。カタログは、会場に行かないと購入できず、古いものは古書店で買うしかない。そのため、展覧会のたびに画廊や百貨店など美術館以外にも足を運び、ライブラリーの存在を周知しながら目録・展覧会カタログを貰いに行った。この作業も、アルバイトならば制約があるが正規職員なら出張扱いで都内位なら行けた。現代美術以外の美術館から専門外の資料を頂いたこともあった。画廊も関心を持ってくれたところは積極的に資料を提供してくれた。これらが現在の東京都現代美術館の蔵書を構成しており、薄っぺらの一枚物も入っているのはこのような経緯からだ。蔵書は、東京都美術館の作品収集方針と同様に現代美術を中心とした。また、都美館では学芸員と司書が一体になって企画展の調査研究をする方法をとり、展覧会の企画段階から司書が会議に出席した。そのため、学芸員が求めている資料がすぐ分かり、すばやく資料を提示できる非常に有益なシステムが可能になった。現在は、司書や資料編担当者が作ったものはカタログが印刷されてから学芸員の目に留まる。学芸員と司書が一緒に作業をするこの取り組みは「都美館方式」と呼ばれ、当時全国の公立美術館の注目を集め、ライブラリーの必要性を学芸員が認識するきっかけになった。ただライブラリーがあればいいのではなく、情報をいかに収集し集積するかという視点がなくては成功しない。
 東京都美術館に続いて、1979年1月兵庫県立近代美術館がメインエントランスにアートインフォメーションセンターをつくり美術情報の発信を始める。国立では、1984年4月、国立東京博物館は単独の建物を資料館として立ち上げた。1989年3月にオープンした横浜美術館の図書館は、コンピューターシステムを取り入れ90年代のアート・ライブラリーの活動をリードした。横浜には、草野鏡子さんという非常に優秀なライブラリアンが活躍されていた。ライブラリーの活動にとって重要なのは、システムの進化ではなくて「人」であると実感する。東京都美術館の図書館は1995年3月東京都現代美術館のすばらしいスペースに移り変わって全面的なサービスが可能になりアート・ライブラリー全盛期を迎えることとなった。
 アート・ライブラリーは、当初は美術館にあればよいという必要性からの存在だったが、最近は必然的なものとなってきた。それに伴って、資料の収集方針や方法の模索から、膨大に集まる蔵書をいかに整理し利用するのかが最大の課題になっている。また以前は資料収集予算が問題だったが、最近ではシステム運営費に膨大な費用をかけている現状がある。このような状況の中で重要なのは、常に必然性からではなく、必要性から対処していかねばならない。例えば、資料整理面では展覧会カタログは美術館別に配架する方式の採用などがある。司書は十進分類表にこだわり、カタログ類も作家やテーマに即して分類しようとするが、学芸員はどこで開催したかという情報は持っているので、美術館が発行したものは館ごとに分類すれば一番わかり易くてしかも早い。作家ごとに分類されていると探すこともままならないなどの問題点が出てくる。学芸員にとって司書の整理したライブラリーは使いにくいのはこの理由からだ。
 さらに深刻なのは、ライブラリーで働く人が正規職員ではないという現状が広がっていることだ。11年間私が都美館で様々な活動が可能だったのは、やはり正規職員として生活設計がきちんとできたためだ。先程、現在のアート・ライブラリーが見失ったものと挙げたが、一番は正規職員がいなくなったことが、ライブラリーの問題として非常に大きい。

3、美術館における編纂活動
 次に、美術館学芸部門における編纂活動(年譜・年表・書誌の作成)の現状について。編纂の意味を認識し原資料にあたって編纂活動をおこなう学芸員――そうした方はまだ少ないが――の制作したカタログは評価できる。また、カタログに費用をかける美術館も増えているので、それなりに資料編が充実はしてきている。
 学芸員と美術ドキュメンタリスト、決して同じ方法で編纂物を作る必要はない。学芸員なりの、そして美術ドキュメンタリストなりの年譜があるべきだ。例えば、作家自身や作品の変化を詳しく述べるのが学芸員の年譜ではないだろうか。私どもは事実関係の列挙となる。学芸員、美術史家、研究者として、作家や作品について書くべき点を付加していけばいいのだが、そっくり引用されてしまうことがある。孫引きの孫引きも出てきてしまう。こうなると新しい発見はなくなり、情報は劣化する一方である。しかも、孫引きの際にサンプルにした既存の編纂物の質が悪い場合が多い。なぜならば、優れた年譜・書誌はすべて現物を見て作成していてかなり詳細な情報(年月、面数)も記してあり、追加するデータを同じレベルで記載するとなると同様に実見して作らなくてはならない。そこで、孫引きの段階で次第に情報が削られていく。私の場合、年譜はまず白紙で作り最後に既存のものを参照する。文献目録の配列も、論文を読みながら重要なものから検証して並べている。参考文献とは重要なものをまとめたものなので「主要参考文献」というのは言葉の遊びだ。「参考文献」に「主要」をつける必要はないのにもかかわらず、そこに漏れがないか不安があるので逃げている。また、参考文献には参考にした文献と参考にすべき文献があるが、現実はそのように作られてはいない。
 これらの問題は、編纂の基礎を学ぶ機会がなかなかないというのも大きい。自己流の一つ覚えでやってしまう。例えば、図書や雑誌は『□□』でくくるなど、文献目録に書名を記載する場合、わざわざ『□□』をつけ文献だと明記する必要はない。優れた文献目録は記号をなるべく使わない、シンプルで見やすいものだ。
 編纂物を作るうえでの基本的な態度は、徹底して使う立場を考えること。私の場合、細かい事だが雑誌のデータは第何巻第何号という通しナンバーと共に発行年月日を入れている。昨日もリストを見ていて間違いを見つけた。両方記載してあったので一箇所みてすぐに間違いが見つかった。使う立場に立てば、両方データが揃っているに越したことはないと分かるわけで、どちらか片方だけでは間違えを見つけるのも難しい。私は、あればいいと思うものを自分で作って、次の人に使いやすいものを回していっていると考えている。あとは、シンプルで美しいものを作ること。これは、余計な情報を入れないことにも繋がる。そして、決して孫引きはしないこと。すべて白紙ということではなく、事典等があるので略歴位は使うべきだ。既存の情報を使うのであれば、きちっと作った人の了承を求め、既存のものはきちんと受け止めて、手を入れるのであれば増補するという姿勢が重要となる。
 個人の場合これでよいが、美術館の場合はどうするか。まず、データの共有化をしなければいけない。芸術はオリジナリティが必要だという先入観があるからか、現状では、5人学芸員がいると5通りの文献目録ができしまっている。だが、データ面でこれをやられると一番困る。むしろ、情報の共有化・表記の共通化をしなくてはひとつひとつの書誌の成果が集積できない。美術館で仕事をするというのは、個人の作業では決してなく、いわば「共通認識」として考えていく必要がある。これは個々の館だけでなく日本全体の美術館界としても考えなくてはいけない。少なくとも文献目録だけでも共通化していくといい。だが、今は逆の傾向にある。美術館の独自性はうわべではなく中身。形式など、共通化できる部分は共通化していく必要がある。

4、望まれる「編纂物=年譜、年表、書誌」とは
 より網羅的に集積し、かつ明快で、より使いやすく表現したものだ。網羅すべきものは徹底して網羅すること。その一方で、簡潔なものはより簡潔に。重要なものを盛り込んだ参考文献でなければならず、たまたま見かけた資料で参考文献表はつくってはいけない。網羅的に集積された情報を重要なものから絞り込んで、より簡潔に表現したものを作ること。本当は略歴ほど最も難しく、その作家の全体像をつかまないと、とても書けるものではないのだが、実際に事典などを作るときは大学院生に仕事が回っている。しかし本来は逆で、略歴作成こそはベテランの仕事である。この現状は、ある程度の字数があればいいという考えで事典が作られていて、使う人の方に向いていない現状がある。本当に略歴は時間がかかる。略歴で何を言うかで編纂者の力は明らかになるので、美術館の力を知るにはカタログの略歴を見ればいい。
 作品をきちんと扱っているかどうかがこれからの編纂物作成の課題だと考えている。小説家の場合、作品名の出てこない略歴なんて信じられないが、現代美術家の略歴を見ると出品歴・受賞歴はでてくるが作品名がでる略歴はほとんどない。代表作がないから書けないのかも知れないが、作品を大切にするという意識が表れているように思う。戦前は、年譜などでは画歴が中心で、作品の歴史、それでもう充分その作家が表現されていた。
 本来やるべき編纂の姿とはいかなるものか。編纂物は一回ではいいものはできないので繰り返し増補する必要がある。他の学問では増補版や新訂増補など、研究の状況に応じて増補していくが、美術館界はそれがない。少し付け加えただけで編になってしまう。以前、私の作成したある版画家の年譜を利用したいとある美術館が申し出てきたが、5行くらい付け加えただけでその人の編になっていて驚いたことがある。これが現状であり、編と補という基本的な考え方がないのだ。せっかく作成したものが活用されず、さらには劣化してしまうという現実的な問題を常に感じている。編と補という認識が美術館界に出てこないと、この状況は変わらないのではないだろうか。既存の編纂物との関係で、「参考にする」ということばを的確に使用する必要性があるだろう。「編」と「補」という行為は違うのだ。「参考にする」とは「引用する」ことのではない。例えば、すべて白紙で編んで最後に既存のものと比較してみる。すると欠けているものがはっきりと分かる。この点については既存のものを参考にした、と明記できる。最低限、こうした認識を持たなければならない。

5、制作の現場で直面するその他の問題
 まずは、経済的な側面。編纂物に対する制作費を誰が負担するかという問題に編纂の現場は常に直面している。美術館が全部を買い取って編纂費用全てを負担してくれればいいのだが、実際は原稿料という形で月賦のように費用が回復していくことになる。作家自身による「自分の年表と書誌」買い取り制度も望ましい。常に「参考=引用」にさらされている現状では、良心的な編纂という仕事を経済面で支えきれなくなっている。著作物としての保護という問題を身にしみて感じている。
 そして、グラフィック・デザイナーとエディターの役割も重要だ。デザイナーは版面を気にして、書誌データの記載をすべて頭揃えにしてしまう。私の場合、右に少し文字を下げて頭をそろえるが、左に一直線ですべて揃えてしまうとよく分からなくなってしまう。書誌は、使いやすさ・読みやすさが重要でデザイン性重視ではない。本来はデザイナーの上に編集者がいるのだが、日本の場合はデザイナーが優先される。編集者が力を持たないと良い編纂物はできない。

6、高品位で豊かな編纂物が続出していた時代が、かつて存在していた
 ではこの状況をどのように変えていくか。かつて日本には優れた編纂物が出ていた時代があったことを考える必要がある。お手元に、『美術百科全書 西洋篇』のダダについての項目をコピーしてお配りしたが、これは戦後に出た『新潮世界美術辞典』と比べても中身が濃い。戦前期のこういう非常に高い仕事があったのだから。復古調かも知れないが、ここからもう一度つなげていかないと、日本の現在の美術の研究がどこかおかしくなってしまうのではないだろうか。

7、美術ドキュメンタリストとは
 職業人としては、美術情報の「集積と表現」、特に「表現」に関わる仕事に携わっている。ライブラリアン(図書館員)とドキュメンタリストの違いは、集積のみではなく表現という部分に関わっていという点ではないだろうか。ドキュメンタリストは、全体像を把握しながら待訪書目という考えを常に念頭において仕事をしていくことが重要だ。また、実用情報が集積対象になる。言い換えれば、作家の活動に沿った文献資料が必要で、美術館図書館のかなりのウエイトを占める企画展カタログだけでは仕事はできない。そのためにも、書誌編纂は欠かせない活動となる。しかし、現場では日々整理しなくてはならない資料が入ってくるので、書誌を作りたくても作れない現状にある。
 美術ドキュメンタリストとして私がどのような仕事をしているか。今はもうやっていないが、新聞の切り抜きを毎日おこなっていた。ある時期は全紙を取り、美術の記事を切り抜いた。あとは、美術館や画廊を回って展覧会チラシの収集を仕事の合間におこなう。さらに古書店、書店まわり。経済動向のチェックも重要である。今日の『日本経済新聞』朝刊に「12月に美術館が公益法人制度化」の記事が出ていた。このように朝日・読売・毎日だけでは足りないということがこの仕事にはある。このような日常的な作業を毎日積み重ねる中で、仕事と対峙していく必要がある。
 最後に、美術館スタッフとしての美術ドキュメンタリストについて。先ほど、都美館方式の話をしたが、学芸員との連携を意識しなくてはいけない。一番の利用者である学芸員の要求にこたえられなくてはならない。それから、館の方針に対応できるかどうか。都美館のライブラリーの場合、館自体が現代美術を志向していくことでがらりと蔵書の収集方針を変えた。こういう柔軟性が必要だ。だから、資料で独自性を出しその美術館ならではのものがあれば、ない資料があってもいい。利用者はいろんな図書館に行けばいい。そして、できたら書誌活動をやって欲しい。書誌作成は、自分自身でレファレンスサービスを受けて進化していく過程だ。参考図書に精通していなければ問題は解決しないので、書誌編纂によって専門性の修得に日常的に身を置くことになる。都美館では、毎月の美術館ニュースと年1回の紀要という形で日常的に書誌を作成した。最初から大掛かりなものを作るのではなく、ちょっとしたものを作ってそれを集積し発表していく。すると、資料の内容と所在が知られていく。このように、日々の作業の蓄積とその継続が重要なのではないだろうか。

【質疑応答】

発言者1「編纂物は、網羅性と共に表現であることが重要であると指摘されました。例えば、資料の重要度順から配列、学芸員の場合は作家・作品中心の年譜作成などを挙げられたが、参考文献表などで表現ということを考えた時に、ご自身が留意されている点や具体的な“表現”の種類があったらお伺いしたい。」
中島「徹底して基本に忠実に、見やすく使いやすい目録を目指すというだけです。特別何かするのではなくセオリー通りに徹底するということです。種類としては、網羅的な目録と主要目録とに二分されます。」
発言者1「学芸員と共同で書誌を作成する場合、展覧会のテーマを設定しそれに則して書誌を作ると思うが、テーマを設定すること自体も表現としてとらえられているか?」
中島「テーマを設定することから表現活動は始まります。テーマ性においてユニークさを出さないと仕事も面白くないですしね。」

発言者1「ライブラリーが見失ったもの、とのお話があったが、アート・ライブラリー自体が見失われるという懸念を覚えることがあるのだが…。例えば、専門家のライブラリアンがいなくなる状況などアート・ライブラリーのユニバーサル化ついて何かご意見を。回復の兆しはあるのか、それとも劣化の状況は続いているのか?」
中島「自身の身近な問題として感じております。もしそれにお答えするとしても、それには編纂物で答える姿勢をとってきた。本来、きちんと追補がおこなわれる習慣がなければならないが、現状として欠落している。このことが元で財産権の問題として、著作権が侵害される状況に個人として常に直面しており、ご質問を受けたような美術館ライブラリーの問題点の検証も考えねばならないという反面、現実的な問題にぶつかることが多いため、私個人としては見えなくなっているのかも知れません。」

発言者2「学芸員と共同で仕事をする場合、横断性を求められている現状があると思う。専門書誌の問題とは別に、書誌に携わる現場で資料において他ジャンルとの横断性を求められると実感することなどはないか?扱う資料の内容に何か変化をお感じになることはないでしょうか?」
中島:「学芸員のほうにも、司書と仕事をすることのメリットがあるとの認識があるかないかによって違ってくる。最初の質問の答えにもなるが、司書という仕事がただ物の整理なのか、創造性のある一つの職業であるかという認識が薄れているのではないか。」
発言者1「今都美館方式を取っているところはないのでしょうか?」
中島「ライブラリーに書誌作成という方向性がなくなってしまっているので今は難しい。」
発言者1「一緒にできる人がいない?」
中島「そんなことはありません。よい書誌を作ること自体は、センスと基本的な技能があれば若い方にもできます。みなさんにも参会者20通りの良い書誌が作れますよ。」

発言者3「『新潮世界美術辞典』が作られた時代は、スタッフ数や費やした時間が現在と異なる。時間的にも予算的にもかけられない現状の中で、劣化しないものを作るためにはどうすればいいでしょう?」
中島「状況に流されてはいけないわけですよ。状況論に、つい議論がいってしまいがちですが、つくるもので勝負していかないと、というのが私のスタンスです。他の分野では信じられないことですが、美術だけは情報の孫引きが許されている。つまり背景には美術館では作品の貸し借りがベースにあるため、その関係の中で「資料はお互い融通し合いましょう」という考え方があって、こうした仕事をしていく上では現状を言えば厳しいものがある。だけど戦前の資料、古い時代の実践が成果物としてある以上、流されてはいけないものがあると感じる。作家と一緒で、どういうものを作っていくのかということでは、資料編纂の仕事もある種の芸術運動だと思っています。
発言者2「戦前と現在ではペースが違うという状況がありますよね。60年代以降美術館が乱立し始めて、展覧会もひっきりなしに開催された。今は美術館が沈滞し始めたから、かえって好転するかもしれませんね。」

発言者4「非常に細かいことを伺いますが、新聞見出しの取り方についてお聞きしたい。取る人によって違うが、展覧会でも複数扱っている記事の場合、大きい見出しでは中で何を扱っているか何を扱っているか分からないし、検索にも引っかからない。参考文献に挙げる時など、拾い方など何かコツをお持ちですか?」
中島「サブタイトルを活用します。つまりメインで内容が分からなければサブタイトルでそれを拾うということです。」
発言者2「縮刷版の目次で拾われていることもある。ただ、新聞集成などは、勝手にタイトルつけられている場合にそこから拾っている人もいるね。まったく原本にあたっていない場合もありますね。」

発言者5「佐久市立近代美術館との活動など、美術館との共同プロジェクトに関わられているとご自身の略歴に挙げられていますが、この時の契約状況はどのようになっていましたか?」
中島「すべて原稿料です。民間の画商さんでしたり新聞社の方の支援があったのでどうにか。もしかしたら、美術という世界で1人くらいしか私のような仕事は食わせられないのではないかと思います。もっと投資して、(人が増えて)持続していけば良いと思っている。」
発言者1「官より民と強調されましたが、機関ではなく司書のNPOみたいなことはお考えですか?」
中島「考えましたが、なかなかうまくいかないですね。」
発言者1「ボランティアで中島さんのお仕事を手伝いたいという人がいた場合は?」
中島「ボランティアによる書誌活動という考えはまったくないですね。やはり対価が発生することが大切だと考えています。民間のほうが厳しいといったのは、成果物が依頼主により評価され、そこに必ず対価(原稿料)が発生しているからだと思うのです。」

発言者6「ドキュメンタリストとしては表記したい事項だが作家が拒否した場合など、作家から表記に関してクレームや意見が出されたらどのように対処されるのか?」
中島「現実的によくあります。削って欲しい、と言われることも。その場合ほとんど妥協してきました。今回自分の略歴を書いてみて作家の気持ちもよく分かりましたね。」
発言者6「作家の主張を突っぱねたことは?」
中島「ありません。作家に会う前に膨大なデータを準備しているので、クレームが来るのです。相手が想定していた以上に綿密な記録を持ってしまうからです。ざっくり作ろうとすれば、そんなに問題のある表記内容に触れることはない。」

発言者7「中島さんが年譜を作りながら、作家自身も気づかない作家像が見えてくる可能性はないか?」
中島「今初めて指摘されました。新たな作家像を、年譜で醸し出すことができるとは思いもしなかったですね。学芸員の作る年譜にはあり得ることでしょうが、私たちの作る年譜は淡々としたものだと思っていますので。」

発言者8「ドキュメンタリストとして、年譜や書誌を作るときに中島さんが意識されていることはありますか?」
中島「読みやすさ、使いやすさの追求です。」
発言者9「学芸員と決定的に違うと考えられている点はありますか?」
中島「作家が持っている表現の問題に深く立ち入るか、事実情報を列挙していくかの違い。学芸員が作る場合は作品が主体ですが、私の仕事は現物を数多く見ることはできない紙のうえでの仕事です。なので、必然的に学芸員のそれと性格は違ってくるのではないでしょうか。」

発言者10「鉛活版と今の印刷技術の差があるのではないか?」
中島「それもありますが、年譜や書誌に対する意識が薄い。ある美術館の大きな展覧会で、年譜も書誌も従来とほとんど同じものができている。」
発言者10「ネットで検索できてしまうために、ネット上に存在する情報に対する著作物としての意識の欠如があるのではないか。」

発言者11「DM等に作家が私信を載せた場合などの資料はどのように扱うのか?参考文献として挙げられるのだろうか?文献の項目の一つとして通り扱うべき?」
中島「一級の資料だと思います。図書や論文と相当に扱うべき。美術雑誌の中に片々としたものがありますが、例えば、美術手帖の展覧会案内はコメントがあり貴重です。項目は、無ければ必要なものは独自に作らなければいけない。」

質問12「『美術家書誌の書誌』を編纂された立場から、専門書誌のあり方について要点を一言。」
中島「『美術家書誌の書誌』は必要から出てきたものです。習慣的に作ることで答えているという癖がついてしまっていてうまく答えにならないかも知れませんが、美術分野ではこうした総合的な仕事が少ないですが、あるテーマを絞って広がりのあるものを作ることは専門書誌でしか出来ないことで、個別的な書誌ではなかなかできないことができたのが成果だと思っています。」



(記録/web complex編集部)

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