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mailto「現場」研究会について今月の「現場」研究会
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7月は現場研特別編として、
シンポジウム「80年代におけるアヴァンギャルド系現代美術——画廊パレルゴンの活動を焦点として——」を開催しました。
これまで研究会では4月に研究会代表である北澤憲昭から、
そして6月には今回のパネリストの1人でもある画廊パレルゴン(以下パレルゴン)の主宰者であった藤井雅実さんから、80年代美術についてお話をうかがってきました。
それまでの美術の流れから飛び出した80年代ニューウェイヴとは・・・。
いわば今回はその総集編。待ちに待ったシンポジウムです!

パネリストは市原研太郎さん、大村益三さん、暮沢剛巳さん、藤井雅実さん、吉川陽一郎さん(50音順)の5名の方々。
前半は各パネリストによる発表があり、後半からは全員でのディスカッションでした。
会場は満席で立見も出る盛況ぶり。客席からはパネリストに負けず劣らずの鋭い意見が飛び交うなど、およそ3時間にわたる白熱したシンポジウムになりました。

前半の発表のトップバッターは暮沢剛巳さん。
暮沢さんからは、場内に流れる、当時のキーポイントとなる作品画像の紹介を交えながら、現在の視点から俯瞰した80年代全般についてお話しをいただき、たいへん密度の濃い発表でした。

続いては、今回のテーマにもなっているパレルゴンの主宰者であった藤井雅実さんから、現場として体験した80年代ニューウェイヴ現象について、画廊パレルゴンの活動を含めてお話いただきました。
話題は美術だけにとどまらず、当時の思想背景なども丁寧に追っていく藤井さん。
次第に80年代美術の形成がほどかれていきます。

その後は、作家としてパレルゴンに関わった大村益三さん、同時代に作品を発表していた吉川陽一郎さんという、一般にニューウェイヴと呼ばれた方々からの話題が続きました。
大村さんによると、当時、大村さんよりも一学年下の世代は、BTの特集に触発されて絵画制作に移行した人が多かったそうです。これぞまさにムーブメント形成の分節点ですね。
吉川さんからは、美大やBゼミといった所属する特定の美術機構が、当時の作家達の表現の方向性に大きな影響が与えられたことがわかりました。

ラストは80年代に画廊街によく出入りしていた市原研太郎さんから、当時の美術界の状況をお話いただきました。当時、海外の動向にも敏感に反応していた市原さんからは、「批評と作品が必ずしも共犯関係の時代には思えなかった」という、その時代を通過したからこその意味深な発言が印象的でした。

ニューアカデミズムの影響や美術館と作家、作品の関係、教育を受けた美術機関による多大なる影響、etc…
ニューウェイヴと呼ばれし作家達が過ごした時代の背景が次々に明かされていきます。
また、客席からも、キュレイターの時代の到来や、ニューウェイヴと美術雑誌の関係性(連動性)を示唆する発言など、この時代の成り立ちに興味深い内容があちこちから飛び出し、実り多き3時間でした。

まさにまるごと80年代を感じた会場を見渡せば、パネリストと同年代の方々に交じって、80年代以降に生れたとおぼしき若い世代の姿もだいぶ見られました。
かなり幅広い層から注目されているのですね。

シンポジウムの詳細は、今後HPで掲載予定です。
ぜひそちらもチェックしてくださいね!(H.Y)


「現場」研究会特別編 シンポジウム開催報告

80年代におけるアヴァンギャルド系現代美術
――画廊パレルゴンの活動を焦点として――

[概要]

パネリスト:市原研太郎、大村益三、暮沢剛巳、藤井雅実、吉川陽一郎 (敬称略、50音順)
開催日程:2008年7月6日(日) 午後1時30分〜4時00分(当日延長30分)
開催場所:京橋区民館


 [挨拶]

司会
 本日はお忙しいなか、ご来場いただき、まことにありがとうございます。「現場」研究会のホームページなどの編集や運営を担当しております吉原沙織と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 「現場」研究会特別編シンポジウム「80年代におけるアヴァンギャルド系現代美術――画廊パレルゴンの活動を焦点として――」を開催します。今回のシンポジウム開催のきっかけは、現場研ホームページに、いま会場に画像が流れております『現代美術の最前線』という、1984年に画廊パレルゴンⅡから刊行された冊子を、PDF化して掲載しようということから始まりました。パネリストは暮沢さんを除いて、みなさん、冊子『現代美術の最前線』に関係のある方々です。まだ著作権処理が終わらないので、公開に至っておりませんが、なんらかのかたちで年内の公開を目指したいと思っております。
 今回のシンポジウム開催趣旨につきまして、「現場」研究会代表の北澤憲昭から説明していただきます。よろしくお願いします。



北澤憲昭
 この暑さのなか、本日は、おおぜいの方々にお集まりいただきまして、ありがたく存じます。「現場」研究会代表として、お礼もうしあげます。

 さて、タイトルにありますように、本日は、80年代におけるアヴァンギャルド系美術の動きについて検証を行いたいと思っております。

 一般的に80年代と申しますと、70年代後半にはじまる絵画や彫刻の見直しの動きによって語られてしまいがちなのですが、そういう単線的な歴史観だけでは捉えきれない様相が80年代には認められます。具体的には、アヴァンギャルドの活動があったということであり、じっさいに80年代を経験した身としては、この点を何とか明らかにしなければならないと、以前から気にかかっていたのですが、このたび1984年にパレルゴンというアート・スペースから刊行された『現代美術の最前線』という本を「現場」研のホーム・ページで電子復刻しようというはなしがもち上がりましたのを機会に、長年の気がかりをシンポジウムのかたちで実現し、その記録も、『現代美術の最前線』の復刻とともにホームページに掲載しようということになったわけです。ゼロ年代も、そろそろ最初のディケイドを終えようとしている今日、80年代という時代を歴史として見直すことも可能となってきたのではないかという思いが、この企画の基調を成していることも付け加えておきたいと思います。

 パレルゴンというのは、若い作家や理論家が自主運営していたスペースでありまして、そこでポストモダン的傾向をもつさまざまなアヴァンギャルドの試みが展開されていったのですが、歴史として、その活動を振り返ると、この画廊は、80年代のアートシーンにおいて特異な位置を占めているように思われます。「特異」と申しますのは、先ほども申しましたように絵画や彫刻という歴史的な表現媒体の復権として語られるばかりで、あたかもアヴァンギャルドが存在しなかったように歴史が語られ、したがって、パレルゴンについて語られることもほとんどないからです。つまり、アヴァンギャルドが隠ぺいされ、隠ぺいされたアヴァンギャルドの拠点もまた無きものにされてきたわけです。そのパレルゴンに焦点をあてて、アヴァンギャルド系美術の80年代のあり方を捉えなおしてみようではないかということが今回のシンポジウムの趣旨であります。

 パネリストとして市原研太郎さん、大村益三さん、暮沢剛巳さん、藤井雅実さん、吉川陽一郎さん、この五名の方々に来ていただきました。暮沢さんはちょっと世代が下、市原さんは、いわゆる団塊世代ですが、あとの方はパレルゴン世代といっても過言ではないかと思います。

 ご挨拶の最後に、80年代に関する、ぼく自身の見解を一言だけ述べさせていただけば、美術館の勃興と、それを千載一遇のチャンスととらえた団塊の世代が絵画、彫刻ブームを作ったのではないかと、ぼくは睨んでいて、その団塊の世代に続く世代は、美術館に食い込むだけのキャリアを積んでいなかったために、自由奔放にアヴァンギャルドを実践できたのではないかなと、そんなことを考えています。

 「トランス・アヴァンギャルド」ということが唱えられた時代におけるアヴァンギャルドの実相について、パネリストの方々の証言を、今日は、たくさんお聞かせいただきたいと思っております。


司会
 ありがとうございました。
 パネリストのみなさまには10分から25分ほど、各自の立場から80年代美術についてお話いただきたいと思います。パネリストの発表は3時くらいまでを予定しております。その後、休憩をとり、後半はディスカッションのかたちをとらせていただきます。またディスカッションの後半には、会場からのご質問などを受け付けたいと思いますので、ご発言などございます場合は、そのときによろしくお願いいたします。


[発表順番=掲載順番]
1. 暮沢剛巳
2. 藤井雅実
3. 大村益三
4. 吉川陽一郎
5. 市原研太郎
6. ディスカッション

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