complex
mailto「現場」研究会について今月の「現場」研究会
archiveart scenepress reviewart reviewessaygenbaken reporttop
「現場」研究会特別編 シンポジウム開催報告

80年代におけるアヴァンギャルド系現代美術
――画廊パレルゴンの活動を焦点として――

[発表順番=掲載順番]
1. 暮沢剛巳
2. 藤井雅実
3. 大村益三
4. 吉川陽一郎
5. 市原研太郎
6. ディスカッション

司会
 ありがとうございました。画廊パレルゴンの命名について背景にある哲学のご解説などありがとうございました。後半のディスカッションにて展開いただければと思います。
 それでは次に、大村益三さんです。大村さんは立体の作品が多い作家ですが、多摩美油画科ご出身ということで、80年代の絵画状況、当時起きていた絵画の復権の状況についてお話いただければと思います。では、大村さんよろしくお願いします。




大村益三
 大村です。
 今日この会場にいらっしゃる方たちを見渡してみますと、私よりよほど80年代絵画のことについてお話していただきたいと思える方々が多数見えています。80年代のいわゆる「絵画の復権」について語ってほしいと事務局から依頼されたわけですが、正直言って私には荷が重すぎるのではないかと思われてなりません。それでもなぜ私がこれを振られたかといえば、それは私が多摩美の油画科出身であるからでしょう。たしかに私は絵画出身ではあるのですが、しかし在学当時からあまりまじめに絵を描いたことがなく、100号の絵なんかは学部1年の時に描いて、それが学生時代最後の大作だったという人間ですから、むしろ絵画に対してはマージナルあるいはエトランジェの視点でしか絵画の復権について話す事ができない。しかし、そうした中心から外れた人間からの捉えなおしというのもあっていいのではないか、ということでこの話をお引き受けした次第です。

 元々このシンポジウムが開かれるきっかけとなったのは、ある人の発言が元になっているとは思うのですが、数年前に某所で80年代が絵画と彫刻の時代だったと聞いて、はたしてそうだったのかと。80年代に実際に発表してきた人間からすると、その認識には少なからぬ違和感がある、われわれが認識している当時の状況とは少し違うぞといった感じでした。それは70年代は絵画は描きにくい、あるいは彫刻が作りにくい、確かにそうした時代ではあったんですけども、80年代に入って状況的に絵画が描きやすくなったという事で絵画の回帰、絵画の復権という現象を説明することはできると思います。ただしそれでも絵画に対して絵画の回帰、復権というムーヴメントはありえたかもしれないですが、彫刻に関してはムーヴメントとして存在していなかったのではないかという印象もあります。当時の彫刻の状況については吉川さんの方から報告があると思いますが、いずれにしても、現在そういう絵画の回帰、復権の形で語られる歴史観は、まるでさきほど藤井さんの方からあったように、見ることも語ることも難しいという点で、何となく「アウシュビッツはなかった」みたいな歴史認識に非常によく似ている気もする。そうしたことに対して80年代の実相なるものを語ることはおそらくわれわれにも無理だろう。というのも、われわれもまた当時の状況総体に対して限定された一視点からしか見ることができないわけですから、それをここで80年代はこうであったという断言調の言い方をしたくはないわけですけども、それでもその只中にいた人間として、観察された限りでの当時の状況といったものはとりあえず報告はしなくてはいけないと思っています。

 80年代の絵画の復権という話に入る前に、一般的な美術史の話をしますけども、美術史的な了解では、70年代に入る前に美術が自己言及的な省察によって、あたかも美術が一旦便宜的には死んだかのように言われていたし、そのようにみんな思っていた。たとえばミニマル・アートあるいはコンセプチュアル・アートにしてもアートワークにしても、そうしたかたちでそれぞれ美術の死は語られていた。しかしもし本当に死んだのであれば、そこですべての美術家は廃業すればよかったのですが、そうはならなかった。美術は死んだというのに、どっこい美術家は生きていた。結局、死を宣告されながらずっと生き永らえたい、みたいなアンビバレントな思いが美術家にあって、そうしたどっちつかずの状況に対して70年代末に、美術評論家の北澤憲昭氏が「もがり(殯)」という名称を使用していたことがあるんですね。この「もがり(殯)」 というのはどういうことかというと、古代日本の葬祭儀礼であって、高貴な人の本葬をする前に棺に死体を収めて、仮に祀る。仮に祀って、その死者を生前と同じように扱いつつ蘇生を願いつつしかし死を確認する、でも本当は生き返ってほしいなぁ~、というところがまるで当時の美術状況に似ているので、「もがり(殯)」 という呼称を北澤氏が出したのではないかという意味に私は理解しています。一旦死んでいる美術を復活させるわけですから、そこは非常に慎重な手続きを行わなければいけない、少し前にミイラを生き返らせるみたいな事件がありましたけども、そうした非常に秘教的なやり方で、絵画なり彫刻を復活させなければいけないとことがあったように私は記憶します。おそらくシュポール/シュルファスあるいはマルスラン・プレーネの『絵画の教え』(岩崎力訳、1976)といったようなものも、1968年のフランス五月革命あたりの流れで出てきたんでしょうけども、それもまたやはり秘教的なやり方であったという印象があります。一旦たとえばシュポール(サポート)とシュルファス(サーフェイス)に絵画を構造的に腑分けして、もう1回それをうまいことしながら蘇生させるみたいなやり方は、ある意味秘教的に儀式めいた仕儀だったのではないかと思います。

 一方の海外的状況ですが、ちょうどシュポール/シュルファスは70年代頃にフランスで展覧会をやったと思いますけども、それが日本で広く知られるようになったのが70年代中頃であったように記憶しています。もう一方のマルスラン・プレーネの『絵画の教え』の翻訳が出たのもやはり76年。フランスから数年遅れで、ようやく絵画といったものを口にしても恥ずかしくないような気分が生まれて、たとえば何人かの美術家が、美術の死以降にそれでも美術が生きているアリバイとして、再制作と言いつつ絵画を方便として使用するといったこともあったと思います。

 いずれにしても絵画というものが日本の現場で広く出てくるようになったのは、やはり『美術手帖』77年の4月号の「絵画の平面と平面の絵画」というこの特集に、おそらくきっかけを持った作家さんがたくさんいらっしゃったのではないかと思います。この中に座談会があって、そこではすでにもう日本の現代美術は平面が支配的になってるぞ、みたいな言い方をされているのですが、しかしそんなことはないわけで、この号のどの展評にも、いわゆる絵画に関するものは載っていないし、作家紹介にしてもその他の記事にしても、どちらかといえば括弧つきの「アヴァンギャルド」の作家の方が多かった。ここで考えられるのは、まずこういうムーヴメントをぶち上げておいて、後で事実化するといった未来派に代表される様な20世紀のあらゆる運動のバリエーションの一つということです。それが明らかになるのは、その1年後の「絵画と平面の相克」(『美術手帖』1978年2月号)の中でやはり座談会があって、そこで藤枝晃雄さん(1936-)が、最近あちらこちらで平面の展覧会が開かれるようになりましたが、そのきっかけは『美術手帖』の4月号――さきほどのですね――、そこで発表された平面をめぐる座談会にあることは疑いの余地がありません、とか何とか言って、要するに結局「絵画の復権」ムーヴメントなどというのは単に『美術手帖』の仕込みだったという(笑)。 全部ばらしちゃってるところがなかなかおもしろいところですね。とにかく「絵画の復権」というのは、この時初めて事実化した印象を持ちます。この当時『美術手帖』というのは非常に強大な影響力を持っていましたから、それぞれの大学のそれぞれの絵画系の学生たちがこれを読んで、これから絵画の時代が来るに違いない!と思ってた人も多くいたのでしょう。私の世代は、後にニュー・ウェーブと呼ばれたりする仕事をしていましたけども、その1年下の人たちの多くが絵画を描き始めたという、驚くべきこともありました。しかし結局ドメスティックメディア『美術手帖』によるこのキャンペーンは実を余り結ばず、いつの間にか『美術手帖』もこれに関しては忘れた風を装いつつ、直後に今度はニュー・ペインティングだぞと、いきなり言う。では今までのこの絵画の復帰キャンペーンに於ける一連の議論は何だったんだと、たとえば、反イリュージョンとか半透明性とか透明性とか不透明性などと言っていた議論は一体どこに行っちゃったんだい、というようなところで、絵画の復権ムーヴメントというのは70年代初めから勃興して80年代初めに終わり、そして80年代半ばに3Cやシュナーベルなどの外タレが取り上げられて、それまで以上に先端的な美術は外からやってくるものである、みたいなことになり、また普通に再現絵画を描いても構わないという雰囲気も出来上がり、それがいわゆる絵画の復権モード全体の雰囲気というものが作り上げられてきたような気がします。従って70年代から発表してきた絵画の人達というのは、先程も言いましたように、本当に忘却の彼方に押しやられてしまったという印象もあります。それに対してメディアがひとつもフォローしないということで、今こういうシンポジウムが行われる意味もあるのではないかと思います。


司会
 マージナルなお立場からの70年代、80年代の絵画状況についておもしろく解説いただきありがとうございました。ディスカッションを楽しみにしたいと思います。


[発表順番=掲載順番]
1. 暮沢剛巳
2. 藤井雅実
3. 大村益三
4. 吉川陽一郎
5. 市原研太郎
6. ディスカッション

inserted by FC2 system