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●2005年10月8日(土) 「現場」研究会討議記録

テーマ:「限界芸術」
ゲスト:福住廉 (敬称略)

〈福住廉の発表〉

「ハリガミマンガ」と命名した、街中に於ける表現活動について追跡調査し、論文にまとめ、今年の7月にギャラリー・マキで展覧会を行った。これらの経緯を手がかりに「限界芸術」というテーマを考えてみたい。

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[「ハリガミマンガ」について]

ハリガミマンガが貼られる場所は決まっていて、福岡市の天神や大名など、若者の集まる通りに限定できる。主に 電柱やビルの壁などに貼られていた。マンガ裏面の四つ角に丸めたガムテープをつけている。この貼り方では、一日もてばいい方で、実際に見ていると半日程で 剥がされてしまう程だ。貼られる時間帯を調査したら、朝7時頃には既にあった。後に展覧会をすることになりガンジ&ガラメに取材をした時に判明した(福住 氏は展覧会まで本人たちと会ったことがなかった)。ガンジ&ガラメの一人がコンビニで深夜働いていたことがあって、店でコピーをして休憩中に貼っていたよ うだ。

本人たちにインタビューしたところ、連載が交互に描かれていたことが判明した。1話目をガラメが描いたら、2話目をガンジ、3話目ガラメ・・・・というように、まるで連歌のように、相手の出方で話を付け足しながら展開していく形式だ。

絵についてだが、連載を重ねるうちにだんだんとうまくなっている。特に30話あたりで絵に工夫が見られるよう になる。本人たちも描いていくうちの慣れがあったようだ。マンガの質が高くなる。元々2人の絵柄は似ていたが、2人してうまくなっていった。ストーリーが 夢の世界に入る時期と絵がうまくなる時期がだいだい重なっているのはおもしろい。特に、鼻孔の中に入っていくシーンあたり。「身体と宇宙」というモチーフ は決してめずらしくないが、メルロ・ポンティなど現代思想に精通していない素人である彼らがそれをやることには興味がある。ガンジ&ガラメのうち一人は、 現在マンガ家を目指し始めた。(彼は印刷会社のサラリーマンをしている。ちなみに相方は地元で活動するバンドのベーシストだ。)

ハリガミマンガ「サンパクガン」は40話で終わっている。それを都市の監視や排除の力が強くなった時期――福 岡での世界水泳をきっかけとした街のクリーン化計画、路上監視員制度の導入など――との関わりで考えていたが、実は仲間内(コミュニティ)の中で正体がバ レてしまったので、面白くなくなったから止めたという事情であったようだ。

このようなマンガ(印刷で閉じられる媒体)でもない、かと言って美術(パブリック・アート)でもないけれどおもしろい都市における表現行為について、考えるようになった。


[都市における表現活動を考える経緯]

街中で「サンパクガン」に出会った頃、山野真悟が関わっていたミュージアムシティ福岡(2000年)のボラン ティアスタッフとして参加していた。このことは都市という場における二つの表現活動について重なり合わせて考えるきっかけとなった。ミュージアムシティ は、街角や商店街やショップ、銀行などの公共スペースに、いわゆる現代美術の作品を置くことで展覧会を成立させるものだ。街にいくつかのポイントを設け鑑 賞者を回遊させ、街を見直させるもの。作品の見せ方として工夫された展覧会になっておらず、出品作家にとってある意味ハードルの高い展覧会だったが、面白 さがほとんど感じられなかった。実際、展覧会の一般への認知度も低かった。その一方、ほぼ同時期に街に現れた「サンパクガン」は、自分の周りの人たちに聞 いたところ、記憶として、ヘンなマンガがあったことを憶えている人が意外と居た。マンガ自体は単純なものだが、確実に人に見られていた。この、街中におけ る表現行為について、美術作品ではないが、何らかの魅力のあるものとして、「文脈化したい、人に伝えたい」という想いが生じた。


[「ハリガミマンガ」を「論文」・「展覧会」という形に]

ハリガミマンガの調査、コレクションを一年程やってみて、どのようにまとめようか迷っていた。ちょうどその時 期に「美術手帖」誌が芸術評論を募集しており、ジャンルが美術に限定されていなかったことから、和田千秋さん、白川昌生さんらのすすめもあって、当時大学 院で社会学を専攻していた自分にとって、オルタナティブ・リアリティとしての魅力と位置づけが出せると思い応募し、入選する運びとなった。また、2003 年のBTにおいて、谷川渥が文章中でカルチュラル・スタディーズによる芸術批評を批判していた。その主張は、「カルスタ批判を用いた芸術批評は、芸術の価 値をないがしろにする」というものであった。自分の大学院での先生である毛利嘉孝さんへの批判であるように思えたが、その批判は、自分にも及んでいるよう に思えた。その批判に応える形で、企画者として、ギャラリー・マキでの展示を行った。

マキでの展覧会では、1〜50話を、5000枚複製(コピー)した。床にエア・シートや新聞紙を敷いて厚みを 持たせ、マンガをばらまいた。当然、ホワイト・キューブにストリートのものを入れる矛盾はあった。しかし、ガンジ&ガラメから「僕らのものはゴミみたいな ものですから。床にまいて踏んづけてもらっていい。」という提案に共感し取り入れた。鑑賞者には、見るだけでなく踏んで、手を汚して触って、拾って欲し かった。持ち帰りは自由。会期中、企画者である自分は、土曜日になるべく在廊するようにした。すると「踏んでいいんですか?」と聞く鑑賞者はあまり居な かった。触らないで見るだけの人や、踏むだけ踏んで帰る人も居たからおもしろかった。展覧会ではこの他に41話目として、ガンジ&ガラメが撮影した映像作 品のビデオテープを来場者に無料配布し、これとは別に福住からの質問にガンジ&ガラメが映像で答えるというビデオレターを随時更新しながら会場で放映し た。

この展覧会では、ガンジ&ガラメとはコンセプトなどについて相談したが、細かいところは全て自分でやった。彼 らはオープニングにも現れない。搬入搬出も企画者である自分がやった。5000枚のコピーをリュックに詰めてギャラリーに行った。自分の色に染まった展覧 会だったと思う。展覧会を通して感じたことは、ホワイト・キューブの手強さ。フィリピンのスモーキーマウンテンのような雰囲気にしたかったが、難しい。キ レイに見えてしまう。

展覧会のシリーズ名は、色々考えたがなかなか思い浮かばなかった。その中で、鶴見俊輔の『限界芸術論』(1960年〈初出1959年〉)と自分の考えているところが近いと思えたので借用することにした。


[これからの展望]

多文化的状況の美術がある今、ガンジ&ガラメのような芸術があってもいいなと思っていて、そのための理論的バック・ボーンとして「限界芸術」が使えると考えている。

また、これからの展望としては、「芸術」側の人間が「限界芸術」をどのように受けとめてきたのか、どのような 歴史的経緯があるのかを調べてみたい。赤瀬川原平の『超芸術トマソン』『路上観察学会』や、美術批評から広告やマンガ、風俗へと、ジャンルを逸脱していっ た石子順造の評論などをさぐっていきたいと思う。また、鶴見が初めて「限界芸術」という言葉を使った「文化と大衆のこころ」(日本読書新聞、1956年) と、中原佑介の文学的印象批評への批判である「見せ物の批評」(『文学』特集:批評の基準)2つの論考が共通の意識下にあったのではないかと推測してい る。そして、鶴見の挙げた分類が現代において妥当性があるかどうか、再定義も試みたい。


〈ディスカッション〉

発言者1「(ストリートのものとして)タギングについてはどう思う?」

福住「興味はあるが、展覧会にしようとは思わない。タギングは若者文化として、例えばヒップ・ホップの洋服屋などが街の風景として雰囲気が出るから、必要としている。」

発言者2「コマーシャリズムに取り込まれているよね。桜木町もそうだし、アメリカでは(タギングの)大会がある。ポップ・カルチャーとして根付いている。」

福住「タグやグラフィティは、ヒップホップカルチャーの、移植文化の焼き直しとしてあるけれど、そうではなく、ハリガミマンガは元々日本にあった表現形態との連関で捉えたい。」

発言者2「それに、ダギングは書体などみていてもプロっぽい。」

発言者3「桜木町のは完成度が高いし、限界芸術というより大衆芸術と言えるのではないか。」

発言者1「タギングなどはちゃんとした形式があって、それを外していない。」

発言者3「限界芸術と大衆芸術の違いはなんだろう。レベルが上がれば大衆芸術ということになるわけではなさそうだけれど。」

発言者2「純粋芸術はプロが特定の読者や鑑賞者のために、大衆芸術はプロがあまり芸術に関心のない大衆のため につくり、限界芸術は、素人が(つくる)。鶴見さんの『限界芸術』概念の限界は、限界芸術でさえも芸術にしてしまったところだ。それよりも、僕は、芸術の 限界に外から接近してくるものに関心がある。ハリガミマンガは限界"非"芸術ではないか。ハリガミマンガは作品として成立してしまっていいのか。芸術の限 界に外から展開していくものと、鶴見さんの芸術の内部に展開していくあり方は、微妙に区別した方がいいのではないか。」

発言者1「美大の講評をやっていたら、タギングをキャンバスに描いてきた生徒が居た。キャンバスに描かれる と、都市に存在する意味と違うように感じたが、本人はどちらでもいいようだった。タギングで有名になりたいって。彼にはバスキアやキース・へリングなどの サクセス・ストーリーのイメージがあるようだ。」

発言者3「プロを志向しない、アマチュアバンドのような存在と限界芸術について、福住さんはどう思うのか。」

福住氏「それは微妙な問題。現に彼ら(ガンジ&ガラメ)のうち一人はマンガ家を目指しているが、それを追っていくつもりはない。」

発言者2「つまり、ガンジ&ガラメに興味があったわけでなく、ハリガミマンガに興味があったということだよね。」

発言者4「そもそもハリガミマンガをやったのはガンジ&ガラメだけだったのか。それ以前にやった人はいないの?」

福住「ちょっと分からないが、それこそ学生運動の頃とかにあったのではないでしょうか?」

発言者4「マンガはあまりなかったような。谷岡ヤスジやにゃろめがタテカンに漫画を描いてたが、あれは意図はなかったと思う。ただ目を引きたいだけだったんじゃないかな。」

福住「さっきの話に戻りますが、僕は他の評論家の人、例えば椹木さんのように、ある特定のアーティストをと共 にステージアップして世界に出ていこうというスタンスではないので。そこまで面倒なんか見れないし、事後的に彼ら(ガンジ&ガラメ)がマンガ家を目指して もそれはそれでいいと思う。」

発言者2「成り立ち難い概念ではあるが、限界芸術に対する限界非芸術というものが気になる。以前鶴見さんの限 界芸術概念を(自分の文章の中で)引用したことがあるが、そのときも、記号論から出発した鶴見の、芸術の内部に留まる限界を感じた。限界芸術については、 中心と周縁がトポロジカルに入る現象がイメージできるのではないか。作者の主観まで含めると難しいが、現象としては指摘できるかと思う。」

発言者1「(ひとつの表現として、)90年代の初め、芸術の域から出ることを試みたことがある。画廊を出て、 車を展示スペースにするという内容。TOYOTAアムラックスなどでアトラクション的なものを試みたのだが、美術的主観を捨てきれないままに、美術を外に 広めようとする自分たちの主観に限界があったように思う。その時一緒にやっていたメンバーは、その後ミュージアムシティ天神に出品していたし。あぁ、結 局、こういう方向(制度の中での表現)に行ってしまうのか、と思った。」

発言者5「ガンジ&ガラメはなぜマンガを貼ったのか?動機は?」

福住「本人たちに聞いたところ、直接的に人に見てもらえるし、取り次ぎが必要ないから、とのことです。」

発言者2「ハリガミマンガの表現がそれほど簡単に見えないところは、俳諧の連歌式に共同制作する発想があったり、貼り紙という方法にしてもひそやかなテロリズム的に展開したりするところがあるからだね。そもそも彼らにアートっぽい発想があったのではないだろうか。」

発言者5「貼り紙の戦略性をそもそもどこまで認識していたのか気になる。」

発言者2「彼らは限界に居るようで、実は中心と繋がってたり・・っていう疑いは(笑) BTがそこに目をつけていたというのは。どう?」

福住「それは結構シビアな話ですね(笑) 一時、「ガンジ&ガラメ=福住説」っていうのがあって、自作自演 やってそれで(BTの)賞までとったんじゃないかって言われて。だったらすごいんですけど。残念ながらそれはないんですけどね(笑) ただ(ガンジ&ガラ メに)BT的な発想はないと思う。」

発言者5「それでも単にマンガを見て欲しいというのなら、同人誌作ったりネットで流したりとか、方法がいくらでもあると思うけれど、あえて貼り紙を選んだのは何故だろう?」

福住「先にも挙げたが、福岡は音楽、美術、演劇など、ジャンルが分かれていないし、コミュニティが狭い。福岡市民に見せる意図もあるが、そのコミュニティにバレずに反応も見てみたいという気持ちが彼らにあったようだ。」

発言者2「(現代美術だと)なすび画廊が、ある意味、貼り紙っぽい感じがあったね。あれは戦略的だけれど。『なすび』というのもコミュニティっぽい。現代美術コミュニティみたい。」

発言者4「漫画というのは、ジャンルが確定しているから大衆芸術よりか?」

発言者2「鶴見の概念では素人しか扱わないジャンルを限界芸術と分けているようだ。マンガは素人もやるが、大衆芸術より技量の落ちるものとして、限界芸術といえるのではないか。」

発言者4「コミケのマンガは?」

発言者5「コミケのマンガは売れるものはかなり売れているよ。」

福住「あれはマーケットがありますね。」

発言者4「現代美術よりマーケットがある。」

発言者3「コミケの世界から見たら、現代美術全体の方がマージナルに見えるのかもしれない。」

発言者4「現代美術の方がコミケに見えてる(笑)」

発言者3「実質的社会学的にはそうかもしれない。」

発言者5「でもアマチュアっていうのはやはりプロではない。鶴見の『限界芸術』は昔に読んだので忘れているが・・ 」

発言者2「アマチュアというものは、プロフェッショナルに対してアマチュアなのであって、サンデーペインターも芸術内在的概念。ところが独楽や面子、凧などは、違うだろう。」

発言者3「プロといっても職人になる。」

発言者5「でも制度の問題として、例えば面子産業ができれば面子のプロができるんじゃないの?」

発言者4「昔、べい独楽で収入を得て、生活していた人が居た。今は居ないけれど。」

発言者5「プロの制度ができたら職業になるのか。」

発言者2「凧絵を描いた奴が、『これが芸術家』って言えば芸術になるんだけどさ(笑)」

発言者5「制度になれば芸術になることがあると思う。美術は『芸術』の中心にあるけれど、中心から少し離れて考えれば、映画など、どこまでが芸術かっていうことはもっと微妙になったりすることはあると思う。」

発言者2「多分、写真というジャンルは、かつて限界芸術だったと思う。だけど、今は『芸術』。」

発言者5「認められたってことで。」

発言者3「出世したべい独楽だね。」

発言者2「まあそうだね。」

発言者2「1956年以後限界芸術がどのように変わってきたか、歴史的背景に興味をお持ちということなら、福 住流再定義を是非やって欲しい。それと、1956年代のことだけれど、読売アンパンなど、アヴァンギャルド派の台頭と関連していると思う。極端なパフォー マンスをやったり、素人が出品したり。寿司屋の兄ちゃんが、布団にしょんべんかけて出品したって話を当時の人から聞いたことがある。限界芸術は素人が美術 展に入り込んできた時期に出てきた概念。中原さんの『見せものの批評』も読売アンパンの動向に関わるところが大きいのではないだろうか。」

発言者5「50年代半ばと言えば、例えば花田清輝が『大衆芸術にしか可能性がない。』と言い出した時期。花田 は『これからはミュージカルの時代です。』とか言ったりしていた。あれは限界芸術ではないが、芸術と言われてないものに可能性を見いだそうとする意識の表 れがあった。」

発言者3「作品、作家の側に語らせるという中原さんのスタンスを受けて話が出たけれど、文化研究や展覧会が一つの『作品』だとして、福住さん側からは『何』としてキュレートしたかったのか?」

福住「ハリガミマンガを『作品』として評価したくないというか。」

発言者2「価値概念としてではなくてということね。」

福住「要は、作品や批評やキュレーションという美術を構成する基本的な言葉を展覧会を行う上で使いながらも、 単に回収されないものとしての方向性を示して、その先で芸術なのか限界芸術なのか大衆芸術なのかは自問自答であり続けたいと思っている。明快な言葉を出す ことに疑いを持っているので。商品価値はなかったとしても、出会ってしまった以上、分からないものをどうにかして、自分にとってもガンジ&ガラメたちに とっても違うステージに行けるようなものにしてみたかった。それがどこへ向かうかはまだわからない。」

発言者3「何よりも福住さんが形にして見てみたかった?」

福住「そうですね。」

発言者3「カルスタ的スタンスを美術に持ち込むということは随分昔からあったと思うのだが、福住さんはカルスタ的スタンスでバイアスをかけようとかは思っているのか?」

福住「カルスタ対現代美術という図式がつくられて、そこに入れられる以上は応えたいけれど。毛利さんたちはカルスタを日本に導入したという自負があって、段ボール絵画などを取り上げていると思うが、僕にそれはない。」

発言者2「参考文献としてハキム・ベイの『T.A.Z』を挙げおられるが、今カルスタの話が出たところで、カルスタとはズレながらも関わり合うと思うので、これについて話してもらえますか?」

福住「大学の頃、アウトノミアやT.A.Z、一時的自律ゾーン等を教えられた。アメリカやヨーロッパのカウン ターカルチャーの中から出てきたムーヴメント。イタリアのアウトノミア運動などは、お金のない人たちが何らかの社会運動や政治運動をやるために集まって、 サボタージュや自由ラジヲという方法をとっていた。『T.A.Z』は、それらの運動の、バイブル的な本。作者は、理論的でなく詩的な言葉で、読者を煽動す るような文章を書き連ねている。例えば、美術との関わり合いに対しては、美術館に行って何かを盗むのではなく、何かを置いてこい、ということを書いてい る。最近、自分の作品を美術館の壁に掛けてきたのに、誰も気付かなかったという事件があったが、その発想は『T.A.Z』から借用していると思う。運動と いうより悪ふざけ的な内容。芸術や美術よりも、政治や社会学の分野で読まれている文献。文中で、ハキム・ベイが『美学的ショック』という言葉を使ってい て、自分がそれを(展覧会のチラシの中で)借用したので、参考文献として載せた。」

発言者2「アウトノミアとかどう思っているの?」

発言者3「アウトノミア運動など、左翼の運動はどうもムラをつくって共同体として閉じてしまう。マージナルなアートもこういったハリガミマンガだけでなく、アクティビズムなものといして閉じてしまうのではないか、と気になる。」

発言者4「段ボールペインティングは、無名性のものとして取り上げられた頃は興味があったが、武盾一郎という個人が(作者として)出てきてから興味を失った。」

福住「段ボールペインティングを取り上げている人たちは絵として評価したいようだ。その見せ方には僕も乗れないところはあるが。」

発言者2「絵画として評価しちゃうのはちょっとね・・」

発言者4「あれは、その時代にあるものであって、当時から10年経っているのに絵画として評価するのはおかし くないか。そこに住んでいる人たちがいて、段ボールがあって、絵がある。つまり、そこには住んでいる人という台座があったわけで、それを切り離してくるの はどうなのかと感じている。」

発言者6「段ボールハウスの絵は、住んでいる人が描いているわけではないんですか?」

福住「外部から入ってきた人が描いたもの。触発されて内部の人が描くことはあったようだが。」

発言者2「多摩美の学生とか。」

発言者4「無名のうちは、描かれている内容と新宿と住んでいる人とのロケーションで成立していたのだが、段ボールを切り離して、あれがキャンバスになってしまうのは違うんじゃないの?」

発言者2「はぎ取られたポンペイの壁画のようだね。」

発言者3「誰にとって『違う』の?」

発言者4「それは観る人にとって『違う』だろう。本来はもう観ることは不可能なものなんだから。」

発言者2「鶴見による限界芸術の定義の箇所だけど、芸術に関するところをピックアップして読み上げてみよう か。『今日の用法で芸術と言われている作品を純粋芸術、ピュアアートと呼び呼び替えることとし、この純粋芸術に比べると俗悪なもの、非芸術的なもの、偽物 芸術と考えられている作品を大衆芸術、ポピュラーアートと呼ぶこととし、両者よりも更に広大な領域で芸術と生活との境界線に当たる作品を限界芸術、マージ ナルアートと呼ぶことにしてみよう。純粋芸術は専門的芸術家によって作られ、それぞれの専門種目の作品の系列に対して親しみを持つ専門的享受者を持つ。大 衆芸術はこれもまた専門的芸術家によって作られはするが、制作過程はむしろ企業家と専門的芸術家の合作をとり、その享受者としては大衆を持つ。限界芸術は 非専門的芸術家によって作られて、非専門的享受者によって享受される。』明確な定義だ。」

発言者5「徹底的に専門性を排しようというわけ?」

発言者3「排しようというより、別に限界芸術を押していこうというわけではないのでは。」

発言者2「ところが凧絵の作者って専門的な職人さんでしょ。だからこの場合の非専門性というのは非芸術的という意味だろう。」

発言者4「あとは享受者の問題っていうのもあるよね。」

発言者2「ある。その両方あずけるというところはやはりおもしろいなと思う。」

発言者4「では、現代にとって限界芸術とは非常に厳しい領域なのでは。」

発言者2「例えば、入れ墨は限界芸術か。」

発言者4「タトゥーは?」

福住「タトゥーは限界芸術ではないと思うが。」

発言者4「大衆芸術に近いのではないか。」

発言者2「凧絵の作者は??・・よく分からないな。鶴見さんの概念自体、その辺はやはり具体例として挙げている表まで含めて考えると曖昧なものを感じるな。」

発言者3「概念だけでなく、対象領域もクロスしている。」

発言者2「享受者を専門性と非専門性に分けたことはやはり卓見だと思う。『専門的観衆』とは、分かっていながらつい忘れてしまうことだとして卓見している。」           

発言者3「かつて概念芸術が流行ったときのように、限界芸術がかつての概念芸術のように、現代美術作家によって安易なジャーゴンとして援用されないかということが気になる。どう思います?」

福住「その辺は気にならない。というかそもそも商品価値があまりない。」

発言者2「でも限界芸術がそうなることはあるのかな。なさそうだけど(笑)」

(記録/complex編集部)

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