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広辞苑によると〈美術〉は・・・(全3回)
第3回 美術辞典としての『広辞苑』(2)

足立 元

広辞苑によると〈美術〉は・・・(全3回)
第2回 美術辞典としての『広辞苑』(1)

足立 元

広辞苑によると〈美術〉は・・・(全3回)
第1回 「美術」、「芸術」とは何か

足立 元

2008年12月21日

広辞苑によると〈美術〉は・・・(全3回)
第1回 「美術」、「芸術」とは何か

足立 元

 コラムやスピーチによくある修辞法(レトリック)の一つに、「辞書によると・・・」という文句がある。何となく知っている言葉でも辞書を引くと、ああそうかと膝を打つような、明快な定義を見つけることが、ときどきある。そうやって言葉の意味を掘り下げてから、文章を面白く展開していくわけだ。
 一方で、辞書に書かれてあることは、普通に読んでいて決して面白いものではない。例えば「あの人は辞書のような文章を書く人だ」というときは、文章表現力の乏しさを意味するだろう。辞書の文章には、エモーショナルな部分が一切無いからだ。そこにはただ間違いのないはずの、無味乾燥で客観的な事柄の定義だけが無数に書かれている。
 とはいえ、短い文章で一つ一つの言葉が何を意味するか定義することは、非常に頭を悩ます仕事だ。誰もが知っているありふれた言葉であればあるほど、その定義は、ときに高度に抽象的な内容になる。それを物事の本質といってもいいだろう。そして、本質を探り出すということは常に新鮮な驚きをともなうものだ。また、どんなに主観や推量を排して客観性を目指したところで、何を入れて何を削るかという選択のところで、かえって編者・執筆者自身の価値観を表明することにもなるだろう。辞書を読むという作業には、そのような、事物の本質にある新鮮な驚きや執筆者達の隠れた価値観を発見する楽しみもある。
 2008年1月、日本で最も定評のある辞書の『広辞苑』が、第六版として新しく出版された。『広辞苑』によると〈美術〉はどのように定義されているのだろうか。そこには、いつか文章を書くときにも使いたくなるような、ああそうだったのかという新鮮な驚きがあるのだろうか。そして、『広辞苑』第六版は、その旧版と比較して、どんな変化があったのだろうか。この連載では、『広辞苑』第六版に記載された美術関係の項目をとおして、美術の本質について、そして美術をめぐる現在の状況について、考えてみたい。

* * *

 ところで『広辞苑』とは、その名を知らない日本人はいないだろうというほど有名な辞書だが、改めてどんな書物なのか確認しておこう。初版以来変わらないカバーの、荘厳さと上品さを備えた装丁は、画家の安井曾太郎(1988-1955)が手がけたものである。安井曾太郎といえば、確かなデッサン力とねっとりした不透明油彩による鮮やかな色彩の、いわば日本的油絵の大成者として記憶されているだろう。そのため、この『広辞苑』の装丁は意外な傑作と思われるかもしれない。だが、戦中から戦後直後にかけて「国民的画家」の一人として活躍した画家の晩年の仕事が、やがて戦後の「国民的辞書」に成長する辞書を飾ったことは、極めて象徴的である。
 『広辞苑』は、1935年の『辞苑』(博文館)を引き継ぎ、国語辞典と百科辞典の二つを両方の性格を兼ねたものとして、1955年に岩波書店から出版された。戦後日本の歴史の中で、オフィスには必ず一冊は購入され、知的労働者の家庭であれば一家に一冊というほど、『広辞苑』が普及し、支持された。それは、おそらくこれが単なる字引ではなく、簡便な百科辞典としての役割を兼ねていたからであろう。つまり、『広辞苑』が売れたのは、その初期は、信頼がおける字引だったからというよりむしろ、高価な場所を取る百科事典を買わなくてもだいたいの調べ物ができるという、いわば「お得感」のようなものが理由ではないだろうか。
 そして、初版以来の戦後半世紀にわたる5度の改訂は、『広辞苑』が日本語の辞書の中でも事実上のスタンダードとなっていく過程であると同時に、おそらく日本のアカデミズムの更新もある程度反映していると考えられる。第六版にもなると、『広辞苑』のなかの百科辞典的な部分は、美術関係のところだけでも、相当な項目数になっている。その正確な数は分からないが、実際のところ、『カラー版 日本美術史』や『カラー版 西洋美術史』(ともに美術出版社、2002年)くらいの、ちょっとした美術の教科書をやや上回る程度の情報量があるのは間違いない(詳しくはこの連載の次回に取り上げよう)。つまり『広辞苑』は、単なる日本語辞書というだけでなく、一般教養として充分実用的な美術事典としての機能も持っているのだ。

* * *

 『広辞苑』第六版で、「美術」の項目を引いてみよう。そこには、何か本質的な発見があるだろうか。

『広辞苑』第六版(岩波書店、2008年)
びじゅつ 美術 (fine artsの訳語)本来は芸術一般を指すが、現在では絵画・彫刻・書・建築工芸など造形芸術を意味する。アート。クンスト。


 確かに、「美術」とは何かという根源的な問いは、何十億人の人々が悩み考えてきた難しい問題にはちがいない。それにしても、この定義は、物事の本質というにはあまりにも素っ気ない。何か文章のネタに『広辞苑』を使おうと思っていた人たちは、早速がっかりするだろう。
 しかし、何か言葉の意味や内容を調べるとき、一冊の辞書や辞典を引いただけで、全てが分かるということはない。「美術」の定義にしても同様で、『広辞苑』初版や、他の辞書と比べてみると、「美術」というものについてのある意図が浮かび上がってくる。

『広辞苑』初版(1955年)
びじゅつ 美術 ①美を表現する技術、即ち芸術。「-家」②空間並びに視覚の美を表現する芸術、即ち造形芸術。絵画・彫塑・建築・工芸美術など。


 『広辞苑』第六版で「美術」は「造形芸術を意味する」とあったのに対して、『広辞苑』初版では、「美術」は「美を表現する技術」=「造形芸術」だといっていた。さらに他の辞書を引くと、『大日本國語辞典』(新装版再版、1953年)『辞海』(第二版、1952年)、『学研国語大辞典』(1985年)、そして、『大辞林』(第三版、2006年)においてすら、驚くべき事に、美術というものは、「美を表現する技術」ということが書いてあるのだ。
 今日、というより、20世紀の美学の常識として、美術が美を表現する技術ではないことは自明のことである。『広辞苑』第六版における「美術」の定義のあまりの素っ気なさは、むしろ余計な記述をそぎ落とすことで、「美」という基準を追求することから自由になった今日の「美術」のありかたを反映していると評価できるだろう。
 ちなみに、『広辞苑』第六版で「美」という言葉を引いてみると、第一義にひらがなで「うつくしいこと。うつくしさ。」と書いてあり、これはもう陳腐な解説というより、何の解説にもなっていないトートロジー(同語反復)である。それに対して「美術」の項目では、「美」とは何ぞや?という問いを敢えて避けて、無機的に造形芸術と記したのだとも考えられる。
 しかし、『広辞苑』第六版の「美術」の定義に全く疑問が付かないわけではない。それは、カッコでくくられた「fine artの訳語」という記述だ。確かに、『大辞林』(第三版、小学館、2006年)を引いてみると、「美術」は、「英語fine artsの訳語。西周「美妙学説」(1872年)にある」と記されている。だが、美術史上のほぼ定説として、「美術」という語が初めて登場したのは、明治 6(1873)年のウィーン万国博覧会に明治政府が参加した際、ドイツ語のschöne künsteなどに相当する翻訳語として造語されたときである。『広辞苑』第七版においてこの点が改められることを望む。

* * *

 さて、実のところ『広辞苑』第六版における「美術」の定義は、第五版から少しも変わっていない。一方で、「芸術」の定義には第五版からの変化があった。それはわずかな文言の違いであるが、「芸術」の今日的変化というくらいの意味はありそうだ。

『広辞苑』(第六版、岩波書店、2008年)
げいじゅつ 芸術 ①[後漢書孝安帝紀]技芸と学術。②(art)一定の材料・技術・身体などを駆使して、鑑賞的価値を創出する人間の活動およびその所産。絵画・彫刻・工芸。建築・詩・音楽・舞踊などの総称。特に絵画・彫刻など視覚にまつわるもののみを指す場合もある。


 ここではまず、「芸術」とはそもそも「技芸と学術」の二つを意味していたことを教えてくれる。例えばゴッホに代表されるような近代的な芸術家像の世俗的なイメージを思えば、芸術とは何か奔放な自意識に裏付けられた世界観を示す作品を想像されるかもしれない。しかし、中国語の古典を遡れば、「テクニック」と「アカデミズム」の融合こそが「芸術」の原義だったのだ。それはつまり、「芸術」とは「身体性」と「知性」の全体性であると解釈することもできるだろう。それらを「修練」と「教養」に置き換えても構わないが、「芸術」とはそもそも、決して浮世離れした風変わりな世界観などではなかったのだ。
 ところで、『広辞苑』第六版の「芸術」の定義が旧版と変わったのは、「一定の材料・技術・身体などを駆使して、鑑賞的価値を創出する」という部分である。特に、「身体」という記述と、「鑑賞的価値を創出する」の二点について、旧版と比べてみよう。

『広辞苑』(初版、岩波書店、1955年)
げいじゅつ 芸術 ①〔後漢書〕技芸と学術。②〔美〕(art)特種の材料・技巧・様式などによる美の創作・表現。造形芸術(彫刻・絵画・建築など)・表情芸術(舞踊・演劇など)・音響芸術(音楽)・言語芸術(詩・小説・戯曲など)に分けることもある。
『広辞苑』(第五版、岩波書店、1998年)
①[後漢書孝安帝紀]技芸と学術。②(art)一定の材料・技術・様式を駆使して、美的価値を創造・表現しようとする人間の活動およびその所産。造形芸術(彫刻・絵画・建築など)・表情芸術(舞踊・演劇など)・音響芸術(音楽)・言語芸術(詩・小説・戯曲など)、また時間芸術と空間芸術など、視点に応じて種々に分類される。
 『広辞苑』初版と第五版には、「芸術」の一種として「表情芸術」という聞き慣れない言葉が出てくる。控えめにいって、舞踊や演劇を指して「表情芸術」と呼ぶのは、かなり特種なケースではないだろうか。この点は『広辞苑』の定義が長らく間違っていたといっても差し支えない。これに対して、『広辞苑』第六版では、「表情芸術」などを削り、その代わりに「一定の材料・技術・身体などを駆使して」と書くことで、より言葉が実際に使われているケースに近づけたのだと思われる。さらには、「材料・技術」に並んで、少し別の次元の「身体」という語を挙げたところも興味深い。ここには、近年のパフォーマンス・アートの興隆とその関心が反映されているのかもしれない。
 そして、『広辞苑』第五版では「美的価値を創造・表現」とあるのに対して、『広辞苑』第六版では「鑑賞的価値を創出」とある。「美術」がもはや「美」とは必ずしも関係がないことは先に触れたが、美術を包括する概念の「芸術」もまた「美的価値」とは必ずしも関係がないだろう。それに置き換わって「鑑賞的価値」という言葉が用いられたのは、確かに納得がいく。
 ただし、『広辞苑』第六版が「芸術」には「鑑賞的価値」があると書いたのは、単に無難にまとめたのではなく、非常にシニカルな芸術観を反映した可能性がある。それは、批評家の宮川淳がかつて「おそらく、芸術が実在するのはただ、神によってであれ、美によってであれ、あるいは他のなにかによってであれ、かくされ、いつわられていいかえれば疎外されてのみなのだ」(「反芸術以後」)と書いたのを思い起こさせる。つまり、うがった見方をすれば、宗教的対象として崇めたり、市場で高価な値が付いたり、地域や国家の誇りとなったり、そういった芸術の価値はあくまで偽りのもので、芸術にはただ見て味わうことの価値しかないといっているようなものなのだ。

* * *

 『広辞苑』第六版は、こうした抑制された記述のなかに、ラジカルな意志を込めているように思えてならない。次回は、『広辞苑』第六版が、美術辞書としての機能をどれだけ充実させたかについて、見ていこう。(足立元)

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