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アートの現場における火急
作田知樹《クリエイターのためのアートマネジメント 常識と法律》

萬翔子

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足立 元

2009年10月02日

アートの現場における火急
作田知樹《クリエイターのためのアートマネジメント 常識と法律》

萬翔子

『クリエイターのためのアートマネジメント 常識と法律』は、NPO Arts and Law(注1)の代表を務め、様々なアートプロジェクトにも関わってきた作田知樹氏の著作である。この本がどのような内容なのか、ざっと把握してみたい。この本は、「Ⅰ 独立クリエイターとして」、「Ⅱ クリエイターに共通する法的リスク」、「Ⅲ 芸術と法のケーススタディ」の三つの章からなる。
 Ⅰ章は、クリエイターが独立して活動するのに必要な知識や心構え、肩書きの決め方や人付き合いの方法など基本的なハウツーなどが記されている。特徴としては助成金についての具体的な情報が掲載されており、取得方法や財団などの助成団体、日本と海外との助成金事情の違いなどに焦点を当てている。
 Ⅱ章はⅠ章を受け、独立したクリエイターになった後に直面する可能性のある、様々なトラブルに対する対処法について書かれている。最初に海外の美術作家と美術館の法廷闘争などを例示し、法的トラブルが決して他人事ではないと注意を促したうえで、クリエイターに求められる法的知識や責任が増している日本の現状を説明し、その打開策を講じる、という展開だ。
 著作権や肖像権をはじめとする法律の概要や、委託・受注の流れなどが説明され、Ⅱ章はそれ自体が民法や著作権の簡潔なマニュアルを兼ねることになる。この部分を時々参照することで、読者はⅢ章を非常に読みやすくなる。
 そして多くの企業やアーティストの相談に乗ってきた著者が、活動のなかで実際に扱った事例についてのケーススタディを記したのがⅢ章である。一つ一つの相談に応答していく形式で、事例ごとの問題点やキーワードを丁寧に解説していく。この章は格段に面白く、読み応えがある。ボリュームも一冊のほぼ半分に相当し、メインのコンテンツと言って差し支えないだろう。

 まえがきによれば、著者の作田氏は、クリエイターの多くがビジネスの進め方の基礎知識やコミュニケーションの常識をしっかりと理解しないままに学校を終え、自分のキャリアを形成しなければならない状況に陥っていることに気がついたという。
 学校教育ではカバーされないマネジメント面での情報を公開し、多くの人々とシェアするのが氏の活動の目的であり、その知識を

・クリエイターとして仕事をするための基礎をまなぶ
・法律や契約についての不安を和らげる
・クリエイターの権利と倫理を考える

の、三つを焦点として具体的に展開していったのがこの本というわけである。
 この本におけるクリエイターという言葉には、アーティスト、デザイナー、実演家、ミュージシャン、ダンサーなどから、プロジェクト運営者やキュレータ、作家(執筆家)など、幅広く創造と表現の行為にかかわる人々が含まれる。クリエイターが独立する、とは、それらの人々が依頼への応答やプロジェクトの参加などを通して職業的・経済的に自立すること、と考えればいいだろう。
 ただ、単純にアートマネジメントの本としてだけ見るならば、物足りなさを感じる。特にⅠ章の部分は、アートマネジメントの本場ニューヨークのシーンに精通し、この分野ではほぼ初めての入門書となる林容子氏の『進化するアートマネジメント』(レイライン、2004年)や近年の爆発的なアートマーケットを「ゲーム」と称しつつアーティストのモデルケースを提唱する『アート・インダストリー 究極のコモディティーを求めて』(美学出版、2008年)に比べると雑然とした印象になるのは否めない。しかし例に挙げた二つの本がファイン・アーティストに特化しているのに対し、表現にかかわる多くの人々をピックアップした点は社会の現状に即していると考えていいのではないだろうか。クリエイターの立場に寄り添って、社会に出る活動を後押しする立脚点には、素直に好感を持つことができる。しかし、この本の最大の効果は、やはり法律と表現の二つを引き寄せ、その関係の重要性を明るみに出した点だろう。

 私個人は、この本を読むまでは法律というと、我々の生活を囲っている鉄条網のようなものを連想していた。生活のなかで、その鉄条網の外に出てしまったらアウト。直ちに罰せられるというわけだ。クリエイターとして活動することでこの領域に抵触してしまうのではないかと萎縮してしまうケースや、逆に自分とはかけ離れた領域の問題としてとらえてしまうケースは実に多いのだという。しかし実は法律はもっと身近で、有機的なもののようだ。少なくともこちらから近づきさえしなければ無縁でいられるといったようなものではないらしい。
 第Ⅱ章の「法律入門」というセクションに書かれていた印象的な内容がある。

「(中略)コミュニケーションを円滑に行い、トラブルを避けられたら、具体的な法律や契約をそれほど意識する必要もない」と言い切れる。(p.78)

 法はコミュニケーションと密接な関わりがあり、クリエイターが社会にと対峙する際、コミュニケーションへの創造性が重要になるというものだ。確かに100パーセント確実に相手とコミュニケーションをとることができ、トラブルが絶対に起きないのであれば、法律は必要ない。しかし人間、すべてのコミュニケーションを完璧にできるとは限らない。話がこじれにこじれ、コミュニケーションの余地すらなくなったとき、トラブルに決着をつける手段として存在しているのが法律なのだ。これは、車の運転ができたり、専門的なソフトを操れるといったように、有効な「手段」の一つとして法律を考えることである。すると、それまで絶対的なもののように思えた法律を、柔らかく捉えることができそうだ。
 一方で、シビアな視点もこの本には存在していて、それはリスク(注2)をあらかじめ算出し、それに対してしかるべき対策をあらかじめ講じておく必要がある、というものだ。著者は悪質なアートブローカーや料金の未払いなどのケースに触れながら「自分が活動する上で最低限押さえておかなければ困ることは何か」(p.61)を考え、同時に相手が信用に足るかどうかを常に見極める必要性を訴えている。具体的に記された契約の方法論などはこの態度の現れだ。

 公の監視システムがほとんど存在しない表現の現場において、権利の侵害や違法性の有無のチェックは当事者で行わなければならない。この責任を制作の側に押し付ける現代の風潮が、クリエイターに困難な状況をつくり出している。この事態をいち早く察知し、インフラのレベルでも個人のレベルでも注意を喚起したこの本の功績は大きいと言えるだろう。今、芸術系の学校を卒業し制作を糧に活動する人々のなかで、ファイン・アーティストとして成立している人物は非常に少ない。ファイン・アーティストのみをモデルとするのではなく、商業アーティストやデザイナーといった人々の現状をしっかりと見据え、表現と法の有機的な関係性を解説したのがこの本である。
 この本ではクリエイターとして大きく括られたが、次に必要となるのは、教育系や出版系、建築やデザインなどそれぞれの専門によった特価した表現と法のハウツー本ではないだろうか。また、情報が増加しインフラが整えば、私たちも表現の中で法のリテラシーやモラルを問われるような場面があるかもしれない。この本には、まだ現れてはいないたくさんの可能性と問題点が示唆されているようだ。



注釈
1: Arts and Lawは、表現/芸術活動に関する法分野の研究と情報のシェアを行う非営利組織(ホームページより)。作田知樹氏が代表を務める。個人、企業を問わず、法的悩み事について無料で相談を行うなど、表現活動を励まし、アートの現場の情報をシェアすることを目的に、2004年より活動している。
2: リスクとはここでは、トラブルによって費やする可能性のある時間的・金銭的コストのこと

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