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広辞苑によると〈美術〉は・・・(全3回)
第3回 美術辞典としての『広辞苑』(2)

足立 元

広辞苑によると〈美術〉は・・・(全3回)
第2回 美術辞典としての『広辞苑』(1)

足立 元

広辞苑によると〈美術〉は・・・(全3回)
第1回 「美術」、「芸術」とは何か

足立 元

2009年07月18日

広辞苑によると〈美術〉は・・・(全3回)
第3回 美術辞典としての『広辞苑』(2)

足立 元

先鋭的美術運動の収録

 前回は、『広辞苑』第六版に新しく加わった美術関係の人名についてみてきた。今回は、美術関係の用語における増補・改訂について述べていきたい。
 『広辞苑』では新版が出るたびに、新しい言葉の収録が新聞記事になってきた。新しく追加された若者言葉についての記述が一般的な感覚とズレて失笑を買うこともあるが、そうして話題になるのもまた国民的辞書たるゆえんだろう。
 もちろん、政治、経済、文化、科学など諸分野の新語収録では、間違えようのない簡素な記述であり、辞書としての信頼性を失わせるような部分はない。
 さて『広辞苑』第六版の美術用語では、19世紀末から20世紀における先鋭的芸術運動についての項目がいくつか増えた。例えば、次のような言葉が新しくみえる。

クロワゾニズム、形而上絵画、デ・ステイル、マヴォ、コブラ、具体美術協会、アルテ・ポーヴェラ、ヌーヴォー・レアリスム、もの派、暗黒舞踏、フルクサス、パブリック・アート、エコロジカル・アート
(以上、ほぼ年代順)
 いわゆる日本の戦後美術としては、「具体美術協会」、「もの派」、「暗黒舞踏」の三つが新しく収録された。「フルクサス」の項目を読むと、存命のオノ・ヨーコ(1932-)の名前も挙げられているのは興味深い。
 ところで、上記の新収録語の中で定義することが未だに難しいのは、おそらく「もの派」ではないだろうか。美術雑誌等における議論や写真によっていつの間にか定着したこの名称について、いったい何をもって「もの派」と呼ぶのか、その構成員や代表者は誰で、時代範囲はどこからどこまでなのか、その意見の一致にはまだしばらく時間がかかると思われる。
 『広辞苑』第六版における「もの派」の記述は、次のようにごく簡潔だ。
1960年代末から70年代初頭にかけて起こった美術動向。木・石・鉄などの物質や物体をインスタレーションに用いる美術家たちを指す。
 ここにおいて、「もの派」は「動向」であって、流派や運動のような集団ではないことが慎重に記された。また、その代表的な作家を挙げることは、ここでは敢えて避けられたのかのかもしれない。とはいえ、そうした記述の難しさを踏まえた上で、「もの派」について可能な限り間違いのない言葉を尽くして定義し、収録したことには、『広辞苑』第六版の誠意を認めるべきだろう。例えば、2006年の『大辞林』第三版において、「具体美術協会」、「暗黒舞踏」、「フルクサス」は収録されているにもかかわらず、「もの派」は記載されていないからだ。

わずかな、しかし見過ごせない改訂

 20世紀以前の美術の用語については、既に定着した言葉がほとんどであるためか、人名に比べてそれほど変化はない。また、近年の日本近代美術史上では、「美術」、「絵画」、「日本画」、「工芸」の存立基盤を問い直す、いわゆる制度史研究も盛んに行われてきた。なので、これら一般名詞においてもいくらかの変化を期待して『広辞苑』第六版を読んだ。
 しかし、この連載第1回で取り上げた「美術」と同様、「絵画」、「洋画」、「日本画」、「彫刻」、「彫塑」、「工芸」、「南画」、「文人画」、「抽象画」、「アバンギャルド」には、新版での変化は特にみられない。もっとも制度史研究に関連しては、『広辞苑』第六版の新収録語として、「起立工商会社」がある。これは確かに明治の工芸およびジャポニスムを考える上で重要な拠点であるが、一般性はほとんどないといっていい。新版校閲者たちの「こだわり」は、こんなところにあるのかもしれない。
 それにしても、新版となっても大きく中身を変えないのが『広辞苑』のポリシーなのだろうか。あるいは逆に、『広辞苑』新版においてわずかでも定義の記述が変わることは、何か大きな変化を意味しているのだろうか。おそらく答えはその両方である。『広辞苑』の記述はどれも素っ気なくクールだが、最も保守的で全く間違いようのないことを述べている。それゆえに、記述の改訂や新語の増補は、どんなわずかなところでも、何らかの意味があると考えて間違いないだろう。
 旧版で既に書かれた項目のなかでも、新版では小さく改訂されたところがいくつか見つかった。例えば、『広辞苑』第六版では、「モダン・アート」の定義がわずかに変わっている。『広辞苑』第五版では、「現代美術。伝統的な様式にとらわれない斬新で奔放な手法の美術。」であったのが、第六版では、「近代美術。(以下同じ)」に直された。もはや「モダン」の辞書的な—つまり保守的な意味が「現代」から「近代」になったことは、世紀の境目をはさんだ気分の変化を示している。ちなみに1955年の初版に「モダン・アート」は載っていない。
 もうひとつ、「アンデパンダン」について、旧版と新版の違いも興味深い。『広辞苑』第五版では次のように記されている。
『広辞苑』第五版(1998年):アンデパンダン【indépendant】
(「自主独立した」の意)〈Sosiété des Artistes Inépendants〈フランス〉〉独立美術家協会。1884年、官展の審査に反対して印象派の画家などがパリで独立美術展を開き、以後毎春展覧会を開催、新傾向の温床となる。また、一般に同種の芸術家・団体・展覧会をもいう。日本では、日本美術会主催の展覧会が1946年以来継続中。
 下線部は引用者による。「アンデパンダン」のこの記述について、『広辞苑』第六版では、次の下線部のように改められた。
『広辞苑』第六版(2008年):アンデパンダン【indépendant】
(「自主独立した」の意)〈Sosiété des Artistes Inépendants〈フランス〉〉独立美術家協会。1884年、官展の審査に反対して印象派の画家などがパリで独立美術展を開き、以後毎春展覧会を開催、新傾向の温床となる。また、一般に無鑑査の展覧会をいう。日本では、大正期に初めて開催された。
 ともに、前半部分フランスの「アンデパンダン」について書かれた部分は変わらない。しかし、「また」以降の後半部分で、その一般的な意味を『広辞苑』第五版では「同種の芸術家・団体・展覧会」と記しているのに対し、第六版では「無鑑査の展覧会」と改められた。さらに、「アンデパンダン」の日本での事例として、第五版では「日本美術会主催の展覧会」を挙げているのに対し、第六版では「大正期に初めて開催された」ことが述べられている。
 第五版の記述は必ずしも誤りとはいえないが、これでは「アンデパンダン」が単に「新傾向」の「芸術家・展覧会・団体」に捉えられかねないし、日本で「アンデパンダン」が戦後から始まったようにも読めてしまう。しかしながら「アンデパンダン」のその後の歴史的意義を思うならば、マルセル・デュシャンの《泉》が登場した1917年ニューヨークのそれのように、出品料さえ払えば、誰でも、どんな作品でも出品できるという「無鑑査」のところに重きをおくべきだろう。無鑑査ゆえに、既存の枠組みを越えた作品が登場し、美術史を塗り替えたのだから。
 そして、日本で「無鑑査の展覧会」は、1920年の黒耀会展、1926年の理想大展覧会など、大正時代から既にあったことが、近年の日本美術史研究のなかで指摘されている。第六版での記述の変化は、そうした研究上の新しい知見を取り入れて、正しく反映したものだと考えられる。
 ところで、「アンデパンダン」といえば、戦後日本美術史では過激だったことで有名な「読売アンデパンダン」(1949-1963)もある。「読売」への言及をせず、敢えて共産党系の日本美術会を挙げた点には、第五版までの校閲者たちによる恣意的な、どこか古くさい思想もあったのかもしれない。
 ただ、ごく最近、筆者の周囲にいる若手の研究者たちの間では、今までの研究でその意義を見過ごされてきた日本美術会への注目が非常に高まっている。「アンデパンダン」の事例として日本美術会を挙げた第五版までの校閲者たちの感性は、時代遅れではあったが、周回遅れの先頭となって、2009年夏の今では斬新でもある。

 話を戻そう。美術史の言葉のなかで定義がわずかに変化した言葉として、実は「美術史」そのものがある。これは初版、第五版、第六版を比べてみたい。
『広辞苑』初版(1955年):美術史
美術の変遷・発達の道程を記述する歴史。
『広辞苑』第五版(1998年):美術史
美術の変遷・展開。また、その展開過程を調査・研究する学問。
『広辞苑』第六版(2008年):美術史
美術の変遷・展開を調査・研究する学問分野。
 要するに「美術史」の定義が、初版では「歴史」だったのが、第五版あたりでは「変遷・展開」と「学問」の二つになり、そこからさらに第六版で「学問分野」だけになった。「歴史」から「学問分野」への移行は、学問分野としての「美術史」の確立を意味するのかもしれない。
 もっとも、「歴史」は、必ずしも「学問分野」とイコールで結ばれるものではないだろう。むしろ、「美術史」には「学問分野」にとどまらない、社会に開かれた可能性もあるのではないだろうか。

美術館にまつわる用語の改訂・増補

 今日、その可能性の主要な回路は、いうまでもなく美術館である。そして、『広辞苑』第六版では、特に美術館にまつわる用語の改訂・増補が比較的大きな比重を占めている。とはいえ、その改訂・増補は、必ずしも美術館の隆盛を意味しているわけではなさそうだ。
 『広辞苑』第六版では新収録語として美術館の固有名詞がいくらか増えた。既に旧版で収録されていた美術館は、「東京国立博物館」(1872)、「神奈川県立近代美術館」(1951)、「東京国立近代美術館」(1952)の三つである(カッコ内は開館年、以下同じ)。第六版では次の五つの施設が新しく掲載された。
東京都美術館(1926)、サントリー美術館(1961)、出光美術館(1966)、国立国際美術館(1977)、東京都現代美術館(1995)
 美術家の人名に比べて美術館名がほとんど収録されてないのは、おそらく、中辞典のサイズに納めるために最初からあまり美術館名を入れる方針ではなかったのだろうと推察できる。
 ところで、わずかな変化だが、「美術館」について、第五版と第六版の定義は次のように異なる。
『広辞苑』第五版:美術館
美術品を収集・保存・研究・陳列して一般の展覧・研究に資する施設。博物館の一種。
『広辞苑』第六版:美術館
美術品を収集・保存・研究・陳列して一般の展覧・研究に資する施設。研究と企画展示のみを行う施設を指すこともある。博物館の一種。
 上記下線部は引用者によるものであり、新しく改訂された部分である。そもそも美術館の役割には、収集と保存、調査研究、展示があるし、それは今も変わらない。だが、現代美術の領域では、収集を行なわずに展示を行う施設の活動が目立ってきた。第六版の記述改訂は、そうした美術館業界の状況を反映したのだろう。
 おそらくこの改訂に合わせて、「学芸員」という言葉の定義も微妙に変化した(ちなみに、1955年の初版に「学芸員」の項目はなかった)。
『広辞苑』第五版:学芸員
資料収集・調査研究などを行う博物館の専門職員。博物館法に定める資格を必要とする。
『広辞苑』第六版:学芸員
資料収集・調査研究・企画展示などを行う博物館・美術館の専門職員。博物館法に定める資格を必要とする。
 つまり新版では「学芸員」の定義に企画展示が加わっている。この変化は、現在の美術館では、資料収集や調査研究よりも、企画展示に関わる作業が仕事の中心を占めている場合が珍しくないためであろう。裏を返せば、昔の博物館・美術館では、企画展示が今ほど重視されていなかったことを示している。
 ところで、「学芸員」に関連する言葉として、新版で「アート・マネジメント」という言葉が増えたことにも注目したい。これは、「芸術作品を鑑賞者に提供するために、企画立案から運営に携わる仕事。」として定義されている。この言葉の定義には、「学芸員」と違って、収集や保存、そして研究への言及がない。そのことは、正しいし、どこか象徴的でもある。
 企画展示もしくは美術イベントを行うことは、実践的・実務的な能力抜きにありえないことは確かだ。それにしても、『広辞苑』において、「アート・マネジメント」が別項目で出てくる「マネジーメント」から区別されるべき理由は、何なのだろうか(こちらは棒引き(—)が入る)。ちなみに、『広辞苑』で「マネージメント」の定義は、「管理。処理。経営。」とある(第五版、第六版同じ)。これに基づくならば、「アート・マネジメント」とは、本来、芸術の管理、処理、経営に過ぎない。
 「アート・マネジメント」という概念が「仕事」として成立し、『広辞苑』に新しく入ったのは、全ての社会的事業が経営的合理性の追求とは無関係ではありえなくなった昨今の風潮と無関係ではないだろう。1998年の『広辞苑』第五版が出版された年は、日本版金融ビッグバンと長銀破綻の年でもある。この頃から、新自由主義経済の論者が勢いよく声を響かせ始めた。
 周知の通り、それから2008年に第六版が出版されるまでの10年間は、郵政民営化をはじめ米英の政策や言葉を真似ようとしては失敗し、日本の経済にとって、決して明るい時代ではなかった。特に経営的合理性の追求のなかで、国立美術館では独立行政法人化、公立美術館では指定管理者制度、私立美術館では契約社員が導入され、国公私いずれでも若い世代の専門職員は数年の有期雇用で採用することが増えた。
 「独立行政法人」、「指定管理者制度」、「契約社員」、そして「有期雇用」といった、近年の美術館業界でもいつの間にか常識になったこれらの言葉は、いずれも『広辞苑』第六版に新しく収録されたものである。そして、おそらくこれらの言葉こそ、ここ10年間の美術館の変化を示す最も重要なキーワードではないだろうか。
 結局のところ、『広辞苑』第六版で美術館にまつわる言葉が増えたことは、決して美術館にとって良い時代を象徴しているわけではない。むしろ、素っ気ない記述の端々に現れた変化を丹念に拾い集めることで、この新版が出るまでの10年間に起きた美術館の危機が、おぼろげながら浮かび上がる。もちろんそれは、現代の美術をめぐる状況解説としては不十分だし、あまりに簡潔すぎるかもしれない。しかし、それは知のスタンダードとして、どんなジャーナリズムよりリアリスティックに、この時代を映している。(連載終わり)

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