complex
mailto「現場」研究会について今月の「現場」研究会
archiveart scenepress reviewart reviewessaygenbaken reporttop

牛馬犬猿頌――動物と人間の境界にかんするノート

北澤憲昭(美術評論家)

牛は沈んでゐる。もつと鋭どく云へば、何か考へてゐる。「うすれ日」の前に佇んで、少時此変な牛を眺めてゐると、自分もいつか此動物に釣り込まれる。さうして考へたくなる。

――漱石「文展と芸術」

されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷き旅人の道ふみたがえむ、あやしう侍れば、此馬とゞまる所にて馬を返し給へと、かし侍ぬ。ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。

――芭蕉『奥の細道』

インディアンは、動物をひとつ上の存在とみなしています。というのも、動物は、その動物性という点で一貫性をもっており、そのため、ひ弱な人間に比べてはるかにすぐれた能力をもつ存在だと考えられているからです。

――アビ・ヴァールブルク(加藤哲弘訳)「蛇儀礼」

 ヴォルテールは『哲学辞典』の「動物」の項で、動物の魂を動かすのは天体を動かしているものと同じものであるとしたうえで、「神とは動物の魂である」という言葉を記している。ここには、啓蒙主義の響きに混ざる犬儒派の遠い木霊を聞き取ることができる。古代ギリシャの犬儒派の哲学者たちは犬の生活を理想化して、「動物の魂」を自己の魂としようとしたのであった。
 ひとの気配に、犬がふと目を上げるその一瞬の表情に奥深いものを感じることがある。そういうとき、犬の視線は深々とした静穏さに充ちており、ときに叡知すら感じさせる。また、ブラッドハウンドのような大型犬が時折みせる悲しみの表情には、ヒューマニティさえ感じられる。押井守の『イノセンス』に出てくるバセット・ハウンドの目も――こちらは中型犬ながら――同様の表情を湛えていた。群れの習性はともかく、深い感情と叡智、そしてヒューマニティを湛える犬の相貌は、賢明な芸術家に、どこかしら似通ってもいる。さればこそ、ヴォルスは犬に自分の絵を鑑定させたのにちがいない。
 犬ばかりではない、優れた芸術家はどこかしら猿に似てもいる。クリエイターとしての芸術家は「神の真似をする猿」と皮肉られたりもするが、その生身においても芸術家は人間性の陰に獣性を豊かに湛えている。たとえば金子光晴晩年の写真。そこには年老いた猿の面影が宿っている。伸び放題の眉の下の腫れぼったい眼、真一文字に結んだ口、皺のなかの顔――そこに見いだされるのは賢い人間というより、むしろ賢い猿の相貌なのだ。
 バタイユは『先史時代絵画――ラスコーあるいは芸術の誕生』のなかで、馬や牛を描いたラスコーの壁画に、動物から人間への移行を見いだしているが、老詩人の顔貌には、その移行の距離が折りたたまれている。すなわち、人間性と獣性とを充分に発揮することで、たぐいまれな深さに達した中間性を獲得している。

*
 猿と人間の中間性とは、猿と人間の切断を前提とする発想だが、両者を分け隔てる重要な指標として言語の存否が考えられる。人間と同型的な肉体をもちながら、猿は言語をもたない。すくなくとも人間と同等の言語を操ることができない。だが、げんにそうであることを以て、潜在的な可能性までをも否定するわけにはいかない。
 たとえばラ・メトリーは『人間機械論』のなかで、猿が人間の言葉を喋る可能性に言及している。一八世紀当時の解剖学的知見から人間と猿の同型性に注目して、その可能性を論じたのである。これは、動物を「自動機械」とみなすデカルトの動物観を逆手にとった発想といえる。動物が「自動機械」であるとして、人間もまた「機械」であるのならば、猿が人間と構造的な同型性をもつということは、人間同様の言語を習得しうる潜在的な可能性を示していると考えたわけだ。
 しかし、現在ではラ・メトリーの考えは否定されている。猿の音声器官は、声帯の発する音を共鳴させる空間が狭小で、音はそのまま鼻や口に抜けてしまうことが分かっているからだ。だから猿は/a/、/o/、/u/の三母音を発音するのが関の山で、人間の言語における母音構造を体現することができないし、複雑な言語音声を聞き分けることもできない。
 もっとも、猿は図形や文字によって、あるいはボディ・ラングェージによって人間の幼児程度の言語を操ることができないではない。京都大学霊長類研究所のアイの例はよく知られているし、西洋でもガードナー夫妻が百以上のボディ・ラングェージをチンパンジーに教え込むことに成功している。しかし、西欧における音声中心主義的傾向は、喋る猿のイメージを、ひたすらオブセッシヴに膨れあがらせてきたようにみえる。猿が登場する幻想的な物語に、そのことは示されている。
 たとえば、レオポルド・ルゴーネスは「イスール」(1906)という短編で、チンパンジーに人間の言語を教え込んだ男の話を書いている。彼は、「イスール」と呼ばれる猿に言語を習得させようとあれこれ手をつくしたあげく、学習の進展がおもわしくないことに業を煮やして、ついには暴力をふるってしまう。その結果、イスールは、言語学習に背を向けることになるのだが、この猿は、しかし死の床で奇蹟を引き起こす。末期の水を求めて主人にこう懇願するのだ。「ゴシュジン、ミズ、ワタシノゴシュジン・・・・・」。これがイスール最初の、そして最後の発語であった。
 末期のイスールが言葉を発したということは、彼が内々に人間の言葉を既に習得していたことを示している。じっさい発話の訓練が進むにつれて、イスールは言語的な奥深さを――いいかえれば、あたかも詩人のごとき内面性を帯び始めていた。その姿をルゴーネスは次のように描写している。ここには音声言語が内面を形成する機序が暗示的に語られている。

それでも、たいそうゆるやかにではあったが、イスールの性格には大きな変化が現われていた。以前と較べて、表情はおっとりとし、眼差しはより深く落ち着いたものになり、さらに、彼はいかにも瞑想的な様子をみせるようになった。その一例が、空の星をじっと見つめる習慣をつけたことである。同時に感受性もより繊細になり、誰の目にも明らかなことに、彼はひじょうに涙もろくなった。(牛島信明訳)

*
 こうしたセンティメンタリズムをひとり詩人にのみ帰するわけにはいかないものの、言語を習得させようと焦ってイスールを打擲する主人より、イスールの方がずっと詩人に近かったということはできる。打擲されたことで、言語学習に背を向けてしまったイスールの姿は、詩語を縁取る沈黙の深さに思い至らせずにはおかない。ただし、それは単なる内面性とは異なる次元にもかかわっている。イスールの底知れない沈黙には、音声言語の功徳に帰するわけにはいかないものが感じられるのだ。

何らかの野蛮な不正に抗して沈黙を、すなわち知的自殺を選んだ森林の原始人たちは、森の神秘と先史の深淵によって形成される彼らの秘密を、今では無意識的な、しかし厖大な時間の流れゆえにそれだけしたたかな、沈黙という決断のなかに保持していたのである。

 押し黙る猿の肉体に包み込まれる先史以来の「秘密」――それは、ニーチェが人間の肉体に見出したものと同じものではないだろうか。『ツァラトゥストラかく語りき』においてニーチェは「肉体は一つの偉大な理性である」と書いたあとに、こう続けている。「きみのささやかな理性を、兄弟よ、きみは「精神」と呼ぶが、それも実は肉体の道具にすぎない」(高橋健二、秋山英夫訳)、と。ニーチェの先行者ショーペンハウアーは、この「精神」を意味する「アトマ」という名で、愛犬のプードルを呼んでいたという。ときに、犬を「人間」と罵りながら。
 イスールの「知的自殺」とは、決して「一つの偉大な理性」の死を意味するのではない。それは、抽象的な概念能力のパフォーマンスである「ささやかな理性」の封殺にすぎない。かたくなに沈黙を守るイスールは、人間の言語を習得する以前から既に肉体に予め埋め込まれていた彼自身の言語すなわち「一つの偉大な理性」をも抑え込んでしまったわけではないのである。
 このツァラトゥストラの託宣は、最近の認知言語学の成果の示すところでもある。レイコフとジョンソンの浩瀚な共著『肉体のなかの哲学』は、概念化が、肉体的な体験のメタファーによる拡張によって初めて可能となることを説いているのだ。つとにベルグソンも同様の指摘を――たとえば音にかんする「高低」という比喩にかんして――行っているが、レイコフたちは、それを認知科学によって実証的かつ理論的に裏付けてみせたのである。
 ニーチェが「一つの偉大な理性」と称するものを、こうした認知科学の所説に引きつけて理解することは決して無稽なことではあるまい。ツァラトゥストラは、先の言葉につづけて、肉体とは「一つの意義をもつ一つの複数である」としたうえで、それは「一つの戦争であり、一つの平和である。一つの畜群であり、ひとりの牧者である」と記しているが、剣を手にしたひとびとが互いに肉を切り合う情景や、ひしめく家畜の肉体のうごめきを想起させるこうした表現は、肉体を介するメタファーが認知能力において果たす役割の機序を、実践的に示している。神聖ローマ皇帝フリードリッヒ二世が探求した「自然言語」とは、もしかすると、このような肉中に埋もれた理性のことであったのかもしれない。皇帝は、子どもたちに言葉をかけることを乳母に禁ずることで、それを発見しようと企てたのである。モンテーニュもまた――おそらくはフリードリッヒ二世を想い浮かべながら――『エセー』のなかで、こう書いている。「子供は、孤独のただなかにあらゆる交通を絶って育て上げても(それはなかなか行いにくい実験ではあるが)、おそらく何か別種の言葉を用いてその思いを表出するであろうと思う」。そして、こう続けている。「自然が他のたくさんの動物に与えたこの方便を、我々人間だけ拒んだとはとうてい信じられない(・・・・)まったく、我々は彼らがその声を用いて訴えたり、喜んだり、互いに助けを呼び合ったり、愛にに誘ったりするのを見るが、この性能こそ言葉でなくてなんであろうか」(関根秀雄訳)、と。
 もっとも、現在では「牧者」としての主我の勢力は、かつてなく衰えたとはいえ、肉体が「一つの意義をもつ一つの複数」として――いわば、ひとつの「場」として――メタフォリカルな機能を果たしていることは、なお否定しがたいのではないだろうか。
*
 人間の歴史は、しかし、肉体という「一つの偉大な理性」を「ささやかな理性」のヴェールで覆い尽くすことに、ひたすら捧げられてきた。思想史も例外ではない。トマス・アクィナス、デカルト、そしてカントを経てハイデガーへと至る西欧の哲学は「動物と人間」という区別を堅持し、一部の例外を除いて哲学者たちが人間の優越性を疑うことは絶えてなかった。カントは、動物に知覚や感情を認めはしたものの、理性を認めず、したがって「実践理性」に基づく道徳的地位を与えることもなかった。先にふれたようにデカルトは、動物を自然法則に従属する「自動機械」と見なし、理性ばかりか感情さえも認めなかった。動物は苦痛を感じることもないとデカルトは考えていた。デカルト派の学者たちは、犬を板にはりつけにして生体解剖を行ったと伝えられている。
 『マイケル・K』や『少年』で知られる作家のジョン・クッツェーは『動物のいのち』のなかで、登場人物の口を借りて、デカルトの時代には類人猿や高等海洋哺乳動物の知識がなかったと指摘しているが、しかし、デカルトが犬や猿を観察する機会を持ち得なかったわけではないし、その器官について無知であったわけでもない。ヴォルテールは、冒頭で引いた『哲学辞典』の同じ箇所で、犬に対するデカルト派の蛮行を引き合いに出しながら、次のように述べている。

きみはそこにきみとすべて同じ感情器官を見る。機械論者よ、答えたまえ、自然は犬に感じさせないためにそれらすべての感情器官をそろえてやったのだろうか。犬は感じないために神経をもっているのだろうか。こんなあつかましい矛盾を自然に想定してはならない。(高橋安光訳)

 犬は『聖書』では不当に蔑まれているものの、そもそも最初に家畜化された動物であり、猟犬として飼われてきた長い歴史をもつ。絵画史に眼を向ければ、猟犬を引き連れた雪のなかの狩人を描いたブリューゲルの絵はあまりにも有名だし、フォンテーヌブロー派の画家は首輪をした犬を伴うディアーナを描いている。《ベリー公のいとも豪華なる時祷書》にも、人間と行動を共にする犬たちの姿を見かける。
 ヨーロッパで産する”霊長類”はヒトのみであるとはいえ、古代ギリシャ・ローマ人たちはアフリカから輸入した猿をペットにしていた。中世において猿は邪悪なものと見なされるようになるものの、サケッティの『ルネッサンス巷談集』には、司祭に飼われている牝の大猿が画家の真似をして壁画を台無しにする話が出てくる(この逸話にかんしては、デズモンド・モリスが類人猿に美術的能力が実在すると強く主張していることを――牝猿の名誉のために――併せて指摘しておくべきだろう)。そして、イルカは古代ギリシャ・ローマ以来、神々の供であり、人間の救い手とみなされていた。予言者のヨナを呑み込んで助けた巨魚もイルカと目されている。デカルトが観察を怠ったのでないとすれば、動物たちに対するまっとうな観察を妨げる「精神」の存在を――「ささやかな理性」と呼ばれるヴェールの存在を思わないわけにはいかないのだ。
*
 馬もまた早くから人間に近しい存在であった。大プリニウスは『博物誌』で、人間の最も忠実な友として犬と共に馬を挙げている。そればかりか、ペガソスが星になったことに示されるように馬は高貴な存在とみなされてきた。わがゼーロン、鬼鹿毛にもペガソスの面影は宿っている。
 ただし馬の気高さは、「ささやかな理性」を越えたところにこそ見出される。だからスウィフトは、叡知を備えた馬「フウィヌム」を『ガリヴァ旅行記』に登場させ、次のような発言をさせたのであった。ガリヴァが人間の世界における戦争について語って聞かせたとき、フウィヌムはドイツ語に似た彼らの言語で、こんな皮肉を投げかけるのだ。

なるほど、戦争についてお前の言うことを聞いていると、お前が理性、理性というその理性の功徳というものが、いやはやたいしたものだということがよくわかる(中野好夫訳)

 どうやらスウィフトは、デカルトに比して「ささやかな理性」から、ずっと自由であったらしい。馬の典雅な風貌に心惹かれたことがなければ、如何にスィフトといえども、「自然の完成物」という意味を担う「フウィヌム」という存在をヤフーに対置するアイディアを思いつかなかったのにちがいない。このことは、馬についてガリヴァが「最も立派で、最もうつくしい動物」と賞賛していることにも示されている。

*
 フウィヌムには、医神アスクレビオスを養育して医術を授けた賢者ケイロンの面影が感じられる。ただし、フウィヌムが馬の姿をしているのに対して、ケイロンはケンタウロスの貴種であり、ケイロンに限らずケンタウロスの場合、馬の部分は下半身に限定されている。ここには古代ギリシャ人たちの馬に対する敬いの念が間違いなくはたらいている。
 同じく半人半獣のミノタウロスは、ケンタウロウスとは逆に頭部が牛である。ケンタウロスが馬の擬人化であるのは間違いないが、ミノタウロスの場合は、むしろ人間の「擬獣化」といった方がふさわしいように思われる。ここには馬と牛に対する西欧人のイメージの違いが反映している。ミノタウロスの頭部が牛であるということ、そしてケンタウロスの頭部が人間のそれであるということには、西欧における知性信仰のバイアスが――たとえばバタイユの「無頭人」のイメージに逆説的に示されているごとく――かかわっているように思われるのだ(ちなみに獣面人身の例は、東洋でも「馬頭観音」や「牛頭大王」にみられるが、これらは動物の化身すなわち擬人化であって「擬獣化」とは異なる)。
 ケンタウロスとミノタウロスの差異は、牛肉を食べながら、馬を食用にすることを忌み嫌ってきた西洋の歴史にもかかわっている。牛は聖獣として崇められながらも、古代ギリシャ・ローマ以来、食用に供されつづけてきたのである。馬の場合は、たとえ聖獣として生贄にされることがあっても、肉を食べる習慣は――フランスなどの一部を除いて――未だに西欧に根付いていない。フレデリック・シムーンズは『食肉タブーの世界史』で、馬肉への忌避について「馬肉に対する偏見の起源は、キリスト教のように世界的な宗教がウマを供儀にして食べる異教徒の宗教儀礼に示した反応にあった場合もあれば、ウマの高い地位、その神聖とされた性質や神々との結びつきにあるといった場合も考えられるだろう」(西川隆訳)と述べている。そういえばヴォルスは馬肉にあたって死んだのだったが、もしかすると、そこに神話的な罰を見てとったひとびともいたかもしれない。
*
 日本社会における食肉の禁忌にかんして、しばしば仏教思想の影響が指摘されるが、平安時代における殺牛供犠は、食肉の禁止の背景に牛の神聖視のあったことをうかがわせる。もっとも、西洋における慣習は、神聖性ゆえ敢えて肉を食うということの可能性を示唆しているが、すくなくとも日本社会では、そうではなかったのである。
 日本社会において肉食の習慣は文化文政頃から広がりはじめ、「文明開化」期に急速に一般化してゆく。たとえば徳川慶喜(一橋慶喜)は豚肉が大好物で「ブタ一」のあだ名があったが、その家臣の角田米三郎は明治二年に「協救社」の名のもとに養豚事業に乗り出し、多くの協力者を得て、翌年には官許となっている。角田は、豚や牛が命をなげうって飢饉にひとびとを救うのは天皇への大忠であると述べて、食肉の宣伝に大いにつとめたのだが、協救社が設立された明治二年には大阪でも東京でも、すでに一町に一軒は肉の煮売屋があるという状況であったらしい。また、その二、三年後に出版された『安愚楽鍋』は、肉食の野放図な広がりをリアルに伝えている。
 とはいえ、近代化と共に肉食への忌避が一掃されたわけではなく、たとえば明治期に始まるハワイ移民の社会で豚や牛の肉が食習慣に入ってくるのは一九四〇年以降であり、それ以後にも年輩の女性たちは決して口にしようとはしなかったという。
 もっとも、現代人の食生活にかんしては西欧であれ日本であれ――肉食獣同様――肉食を抜きにして語ることはできないとしても、肉食がより切実な意味をもつのは、やはり西欧社会においてであろう。デリダは、『来るべき世界のために』のなかで肉食について、このように語っている。

肉を食べるのは、ただ単にプロテインが必要だからではありません――プロテインはほかのところで見つけることもできるのです。動物の消費には、死刑の場合と同様に、供犠の構造が存在するのであり、つまりは、執拗に存続し分析の対象とされるべき旧弊的構造に結びついた「文化」現象が存在するのです。(藤本一勇、金澤忠信訳)

 タンパク質の必要から肉食をするわけではないという指摘は、ヒトが、ほんらい植物食の動物であることを考えれば納得がゆく。また、殺生にかかわる「供犠の構造」については、つとにルネ・ジラールが明らかにしているところである。仮に「供犠」を脇に措くととしても、肉が、栄養価よりも、むしろ食味によって人間を魅了しつづけてきたのは確かであろう。さらに、生肉を食べたチンパンジーたちが示す異常な興奮は、肉に一種マジカルな力が備わっていることを示している。トマス・ド・クインシーによると、ドライデンやフューズリは、壮麗な夢を見る ために生肉が利くと考えていたという。要するに 肉には、精神にまつわる逃れがたい魅力が備わっているのだ。デリダは、だから、いま引いた件のすぐあとで「確かに、肉を食べること(中略)は絶対にやめられないでしょう」と言わざるをえなかったのである。
 だが、デリダは肉食という「旧弊的構造に結びついた「文化」現象」が、たとえ終焉を迎えることはないとしても、この先、大きな変化が起こることはありうるだろうとも言う。「来るべき何世紀にもわたる規模で、動物性に関する私たちの経験やほかの動物たちとの社会的絆において真の変異がおこると信じています」と述べているのである。そして、「問題は彼らが語りうるかではなく、苦しみうるかである」というジェレミー・ベンサムの言葉を引きながら、こうも言っている。「ホルモン剤で飼育され、トラックに積み込まれ、直接牛小屋から屠畜場へ送られる数えられないほど多くの子牛たちが通り過ぎる場面に出くわしたとき、子牛たちが苦しんでいないなどとどうして想像できましょう?」。ここでのデリダは限りなく仏教徒に似ている。

*
 デリダは、同じ本のなかでデカルト的な動物観について、こう語っている。

「〈動物〉」との関係に関して、このデカルト的遺産は近代全体を規定しています。デカルトの理論は、動物の言語活動は応答なき記号体系であると、すなわち諸々の反応はあるけれど応答はないと仮定しています。

 近代の法思想は、権利主体と義務主体とを表裏一体のものとして捉える。応答可能性なき動物は義務主体としての能力を欠く。したがって、動物には権利は与えられない。「応答」のないところに権利はない。だから倫理学者のデヴィッド・ドゥグラツィアが「動物の権利」を主張するとき、それは法観念の根本的見直しを迫ることでなければならない。そうでなければ、われわれは再び人間中心主義の――あるいは啓蒙主義の――罠に陥ることになるだろう。これは西欧固有の問題にとどまるものではない。近代法に基づく国家に住まう者すべての問題である。三たびデリダから引く。

してみれば、動物たちになんらかの権利を授けること、あるいは認知することは、人間主体に対するある特定の解釈を強化する隠密の、ないしは暗黙のやり方なのです。そして、人間主体に関するこの解釈は、人間以外の生けるものたちに対する最悪の暴力を発動させる当のものだったはずなのです。

 「権利」ばかりではなく、事柄は「道徳」にもかかわっている。カントによれば、「道徳」とは実践理性に規定されるものであり、感性的な欲求に左右されない純粋な義務の命令にほかならない。とすれば、ドゥグラツィアが『動物の権利』で「道徳的地位」と「道徳的権利」について次のように書くとき、それは「道徳」の、ひいては「理性」の再定義を促さずにはいない。

たとえばイヌが道徳的地位をもっていると主張することは、イヌが人間との関係においてではなく、彼女自身の道徳的な資格において道徳的な重要性をもっているということである。より正確に言うと、それはイヌの利益や福祉が問題となり、真剣にとりあげられねばならない――イヌの福祉が人間の利益にどのような影響を与えるかとは独立に――と主張することである。もっと簡単に言うと、われわれはイヌをイヌ自身のために良い扱いをすべきなのである。(戸田清訳)

*
 人間もまた生物学的には動物の一種である以上、ほんらい「動物と人間」という区別は成り立たない。人間は、動物を超絶しているわけではない。ガリヴァが、フウィヌムとヤフーのあいだに――叡智をもった馬のようなものと肉体に淫する猿のようなものとのあいだに――位置づけられるごとく、人間は、理性的であれ欲動的であれ、いずれにせよ動物に包摂されているのだ。このことは遠くアナクシマンドロスにまで遡る発想であり、近代ではラマルクからダーウィンに至る博物学者たちによって徐々に明らかにされていったところであった。
 ダーウィンの問題提起は、キリスト教西欧においては、しばしばスキャンダラスな取り上げられ方をされてきたとはいえ、西欧の周縁部には、ダーウィンの指摘にふれて、詩的想像力を羽ばたかせるひとびともいた。アルゼンチンのルゴーネスもその一人だが、ツルゲーネフも一八七九年一一月の日付をもつ散文詩で、かつて航海を共にした牝猿を思いつつ「わたしたちはみな同じ母の子である」と記している。ここにはロシア的な汎神論と共に『種の起源』の影がみとめられる。
 しかし、「動物と人間」という言い方が疑われることは今もって少ない。もちろん人間が動物の一種であるというのは事実の認定であって、価値の認定ではない。事実を以て価値とすり替える「自然主義の誤謬」は斥けなければならない。ザインとゾルレンを混同することはイデオロギー的な危険をはらむ。とはいえ「動物と人間」という言い回しに含まれる価値観を、そのまま受け容れるわけにもいかない。それもまたひとつのイデオロギーにすぎないからだ。
 思うに「動物と人間」という言い方は、猿が人間よりも毛が三本足りないという俗見の言い換えにすぎない。「三本の毛」に喩えられているのは、ようするに理性・悟性・想像力に代表される「精神」という名のヴェールのことと考えられるが、こうした動物蔑視は、霊肉分離を説くキリスト教ばかりか、仏教にも認められる。だからこそ、『無門関』が伝えるように、趙州和尚を訪ねた僧は「狗子に還って仏性有りや」と問うたのであり、それに対して趙州はすかさず「無」と答えなければならなかったのだ。趙州は犬の子に「仏性」を否定したのではなく、「仏性」というヴェールと、それを通して透かしみられるものとを否定したのであった。
 しかも、趙州の発する「無」には二重の意味が認められる。すなわち、「仏性」は概念によっては捉え得ないということと、仏性即無という二重の意味である。趙州の発した一語には、それをしも「無」という語によって示さざるをえない事態に対する否定的な気合いが籠もっている。
*
 犬は、金網で隔てられた餌に迂回行動をとって到達することができる。このことは、犬に洞察力が備わっていることを示している。「洞察」というのは、試行錯誤の経験にもとづく一種の推理であるから、犬の迂回行動は知性のあらわれと称することができる。同様の洞察能力は猿においても認められる。それを最初に科学的な手法で明らかにしたのは心理学者のケーラーであった。一九一二年にプロイセン科学アカデミーが開始した猿の知的能力にかんする研究プロジェクトを通じて、ケーラーは猿の洞察力を明らかにしたのである。手が届かない高さに吊されたバナナを、箱を踏み台にして手に入れる猿の行動から、彼は、猿の洞察力について「洞察」したのだ。
 だが、ケーラーのこの洞察は、いってみればニーチェのいわゆる「ささやかな理性」のレベルに止まるものであったといわなければならない。このことについてクッツェーが先の本のなかで興味深いことを述べている。 そこでクッツェーは、バナナが高く吊されたのを見て猿が最初にどのような思いを抱いたかを想像しているのだ。彼は、猿の思いを、こんなふうに代弁している――あの人はなぜ自分を飢えさせようとするのだろう、いったい自分が何をしでかしたというのだろう、もしかしたらあの人は自分を嫌いになったのだろうか。
 しかし、やがて猿はひもじさに負けてバナナの下に箱を引きずってゆく。こうして猿は「ささやかな理性」を発揮する。それは、ケーラーの「ささやかな理性」を満足させる行動でもあった。クッツェーは、このことについて「純然たる思索(なぜこの男はこのようなことをするのか?)から、絶えずもっと低級で実用的、手段的な思考(どうやってあれを取るのにこれを使うのか?)へと駆り立てられ、自らをまさに食欲を満たす必要のある有機体として受け入れさせられるのです」(森祐希子訳)と述べ、ケーラーを次のように評している。

 ウォルフガング・ケーラーはおそらく善人だったのでしょう。善人だったけれど、詩人ではありま
 せんでした。

*
 ケーラーが猿の洞察力にかんする実験結果を論文にまとめた一九一七年の年末近くに、カフカが、人間の言葉を喋るチンパンジーの登場する「ある学会報告」という寓話的物語を発表している。ただし、この猿は、ケーラーの猿のように「実用的、手段的な思考」のレベルにとどまってはいない。彼は、自らの思想を言葉によってみごとに展開してみせている。それだけにカフカの猿はルゴーネスのそれに比べると、かなりこましゃくれてみえる。学者たちの講演会に招かれた彼は、「かたじけなくも、猿であったころの前身につき当学会で報告せよとの要請をいただきまして、いまここにまかり出た次第であります」(池内紀訳)と、ゴメス・チェンバリンさながらに語りだすのだ。
 猿は、この講演のなかで、さかんに「出口」について語っている。彼は言う。「生きていたければ出口を見つけなければならず、その出口は逃亡によっては開けない」、と。ここに「出口」というのは、具体的には檻からの脱出口を指す。黄金海岸で捕獲されたあと、船でヨーロッパに移送されるあいだ、猿は三方に檻の嵌まった箱に入れられていたのだ。これは二重の障壁に囲まれていたということを意味する。たとえ檻から逃げ出したとしても、その先に海という障壁が立ちふさがるからだ。彼は、だから「出口は逃亡によって開けない」と言うのである(カフカは、森鴎外訳で日本でもよく知られているジュール・クラルテの「猿」を果たして読んでいただろうか。軍艦に飼われていたチンパンジーがダイヤモンドの指輪を盗み、そのお仕置きとして、かたちだけの儀礼的な銃殺刑に処せられそうになったとき、いきなり縄を切り、目隠しをかなぐり捨てて海へ飛び込んで溺れ死んでしまうという物語であるが、カフカの猿は、その教訓を踏まえているように思われないでもない)。
 檻から解放されるためには、人間になるほかない。猿は、そう考え、考えを実行に移す。「観察」と猿真似によって彼は船員たちの行動をなぞり、ついには言葉をも習得するに至る。彼にとって人間に同化するのはたやすいことであった。言語の境界を――その「無門」の関を――難なく跨ぎ越したこの猿は、講演会に押し掛けた学者たちをからかうように、こう言い放っている。「皆さま諸先生方も、元はといえば猿としての前身をお持ちであって、過去との隔たりの点におきましては私とチョボチョボのところなのです」。船中に囚われの身であった彼が最初に人間に対して発した言葉は「よう、兄弟!」であった。
 こうして、彼は人間に同化することによって檻から出され、やがて演芸館のスターとなり、揺り椅子とワインのある生活の場を与えられることになるのだが、これは自由を得たということを意味しない。カフカの猿は、講演において「出口」についてしばしば語りながら、ただし、それは決して「自由」への道ではないと繰り返し念を押している。檻の出口は、人間社会への入口でこそあれ自由への通路ではありえない、と猿は言うのだ。
 檻を出て人間社会に同化することが「自由」になることを意味しないという猿の言い分は、この寓話が雑誌『ユダヤ人』に発表されたことを思うと意味深長であり、「私個人といたしましては、昔も今も自由など望みません。(中略)人間はあまりにもしばしば自由に幻惑されてはいないでしょうか」という猿の述懐は、がぜん陰鬱な響きを帯びてくる。彼は、「人間それ自体に惹かれていたわけではないのですよ」とも言っている。
*
 だが、こうした政治的寓意を脇に置いていえば、出口を求め続けてきたのは猿ばかりではなく、人間自身もまた出口を求め続けてきたのであった。ニーチェの「超人」思想は、その典型的な例だが、フーコーによる「人間の死」の宣告もまた出口への誘いであったといえる。あるいは、ニーチェの影響いちじるしいフーゴ・バルの次のような叫び。

人間は、理性によって認められていたその特殊な地位を失ったのです。自然の一片になり、先入見なく見て、不均衡な四肢と、鼻と呼ばれる顔から突き出た瘤と、耳と呼びならわされている突起とをもった、蛙かこうのとりに似た存在になったのです。(土肥美夫、近藤公一訳)

 カフカと同じプラハ生まれで、カフカより少し年上のリルケも『ドゥイノの悲歌』で、「出口」への憧憬を、こんなふうに書き留めている。手塚富雄訳「第八の悲歌」の冒頭から引く。

 すべての眼で生きものたちは
 開かれた世界を見ている。われわれ人間の眼だけが
 いわば反対の方向をさしている。そして罠として、生きものたちを、
 かれらの自由な出口を、十重二十重にかこんでいる。
 その出口のそとにあるものをわれらは
 動物のおももちから知るばかりだ、おさない子供をさえも
 わたしたちはこちら向きにさせて
 形態の世界を見るように強いる。

 このように人間もまた檻からの出口を求めつづけてきたのだが、事情は、しかし、カフカの猿の場合とは、いうまでもなく異なっていた。人間が求めつづけてきた出口とは、人間自身からの出口だからである。しかも、その動機は、カフカの猿が指摘するように、しばしば「自由」への希求であった。そして、多くの場合、その思いは詩的想像力に根ざしていた。そのことはルゴーネスやカフカの行文に端的なかたちで示されている。
 人間にとっての檻とは人間自身にほかならない。だから、人間からの出口は人間においてしか見いだせない。ただし、その向こうに待ち受けているのは必ずしも「超人」であるとは限らないし、また神の世界であるとも限らない。そこに広がっているのは「動物」という名の際限なき領域でもありうる。カフカの猿が「出口」について「さきほど述べた自由の信者なら、どんより曇った人間の目にうかがえるような出口よりも、はてしない大海原を選びとることでしょうね」と語るとき、彼が遙かに想い見ていたのは、この際限なき領域だったのではないだろうか。こう語ったとき、彼は――捕獲されたときに顔に受けた弾痕ゆえに「赤っ面のペーター」とあだ名されるこの猿は、犬儒派の顔つきをしていたのにちがいない。ヴォルテールのいう意味で「神」という言葉を使うならば、壇上の猿がこのとき想い見ていたであろう世界こそ、まさしく神の世界であったといってもよい。
 ただし、人間にとって「大海原」への出口はただひとつとは限らない。すなわち猿だけが出口なのではない。デリダのいうように、「〈人間〉と〈動物〉のあいだには、ただひとつだけの境界線――一にして分割不可能な境界線――があるのではない」からである。トゥリー状に書き表わされる進化の図式に捕われることなく種の多様性に思いを致すならば、この指摘を理解するのに、さして困難はないはずだ。
  むろんスティーヴン・ジェイ・グールドが「梯子図と逆円錐形図」(渡辺政隆、大木奈保子訳)で述べているとおり「進化理論では、類縁関係にある種類には共通の祖先が存在するとされており」、しかも、このことはトゥリー状の進化図式のような「社会文化的な偏見」によるものではないとして、しかし、おなじくグールドがいうように「進化」は「時間の経過と共に起こる生物の変化」という意味であり、「進歩」とは異なるという点には注意を要する。啓蒙主義的な「進歩」という概念は、要するに人間とその歴史が時代を追うごとに完成に近づくとする楽天的な発想を宿しており、それを生物進化にあてはめるときに「人間という頂点を目指した過程」としてトゥリー状図式が描かれることにもなるのである。 
 人間から動物への出口を猿に見出すのは、「共通の祖先」へ向かう遡行であるとしても、この発想には、どうしてもトゥリー図式的なものがつきまとう。だが、動物と人間の境界は至る所に――たとえば飼い猫や飼い犬とのあいだにも見出されるのであるし、膝の上の猫を撫でているとき人間と動物の境界線は、しばしば破線状を呈している。それどころか、この破線状の境界線は、人間自身のうちにも見出される。だからこそ、善く深く生きた者が賢い猿の相貌を帯びることにもなるのだ。
 ルゴーネスにせよカフカにせよ人間の言葉を喋る猿のイメージは進歩主義的進化論のトゥリー図式を――否定的であれ肯定的であれ――踏まえている。カフカの猿が「猿であったころの前身」と述べていることにも、それは示されている。スウィフトの発明したヤフーも人間中心主義のアイロニカルな擬態であるということができる。そして、現代を生きるわれわれの思考もまた、同様の進化論のトゥリー図式に今以て捕えられている。
 しかしながら、このような思考に跼蹐しているかぎり、生物の世界を縦横無尽に分割する境界線の実相を見いだすことはできない。もし単なる憧れを超えて「自由」を切に求めるのであれば、猿が出口のひとつにすぎないことを、われわれは知らなければならない。いつまでも「兄弟」に頼っているわけにはいかないのだ。

*
 さまざまな境界線上に開かれている出口は、結局のところわれわれを立ち竦ませるにすぎないともいえる。いったい、どの出口を、われわれは選ぶべきなのか。
 だが、そのことで迷う前に、そもそも、それが「出口」と称すべきものなのかどうかについて、改めて考えてみる必要がある。カフカの猿は、寓話につきものの亀裂や隙間を通じて、人間からの「出口」へと思考を誘うのだが、ヤーコブ・フォン・ユクスキュルが『生物から見た世界』でいうように、多様な動物にとっての「環世界Umwelt」は動物そのものと同じく多様であり、動物たちは、それぞれの種に固有の「環世界」に閉ざされて生きているからである。たとえば、昆虫の目は紫外線を感知することができるが、彼らは人間が感知する赤を感知することができないのだ。
 ただし、この多様性は必ずしも多元性に起因するものではない。動物界の多様な「環世界」は、それらいずれの世界に対しても永遠に閉ざされたままの或一つのものによって育まれ、支えられているとユクスキュルは言う。彼によれば、その一つのものとは「自然という主体」にほかならない。こうした発想は、人間を主体から客体へと転換するニュアンスにおいて――たとえばエコファシズムに通ずるような――危険な響きを帯びていないでもないのだが、しかし、人間もまた自然の一部であるという点の押さえ方如何によっては、その危険を免れることもできるのにちがいない。すなわちnatural lawを二重の意味で体現するものとして――自然法則に従いながら、それに基づいて法を措定する「主体」として改めて人間を捉え返すならば、その危険は遠ざかるように思われる。その過程は、おそらくスピヴァクのいわゆるunlearn(学びほぐす)の過程に重なるのにちがいない。あるいは、その過程を、非キリスト教的に脱構築された「学識ある無知」(ニコラス・クザーヌス)への接近と称してもよいかもしれない。
 このように考えるとき、さまざまな境界線のうえに開かれた「出口」とは、われわれ人間が動物という際限なき多様性の領域に既にして属しているということの自覚を意味するにすぎず、そうだとすれば複数の出口のまえで立ち竦むおそれもないということになる。しかも、このように考えるならば、「出口」は、あいかわらず多様でこそあれ、扉のノブは一つしかないということができる。natural law(自然法則)に拠ってnatural law(自然法)を再主体化する場は個々の肉体を措いて、どこにもありえないからだ。ニーチェが肉体を規定した「一つの意義をもつ一つの複数である」という言葉に、こうした意味を読み込むことも決して不可能ではないだろう。
*
 人間が既にして動物に属しているということの自覚――それは「出口」というよりも、むしろ「コプラ(繋辞)」と呼ぶべきなのかもしれない。そして、このコプラは、結局のところ自然回帰への慫慂にすぎないのかもしれない。そればかりではない。かかる慫慂は、商品世界のファンタスマゴリー(幻影)――市場社会のスクリーンに映し出される巨大な幻影の惑わしにすぎないともいえる。ちかごろのペット・ブームを思うとき、この疑いは拭いがたい。ペットに限らず、コマーシャル・メッセージは「大海原」へと――あたかも、それが究極のシニフェであるかのように――ひとびとを誘い続けてきた。人工的な商品世界への幻滅が自然への希求を生むというよりも、むしろ、その希求じたいが商品世界に取り込まれているかのごとくなのだ。また、「大海原」への希求がエコファシズムの道へと通じている可能性も否定しがたい。
 しかしながら、詩的想像力に根ざしつつ動物界の「大海原」を目指す「自由」への意志が、ファンタスマゴリーを揺るがす可能性を秘めていることもまた否定しがたい。ファンタスマゴリーも――この「私」の脳と肉体の関係に似て――natural law と決して無縁な存在ではありえないからである。
 「ある学会報告」の政治的寓意に思いを馳せながら、最後に考えをさらに拡げるならば、アリストテレスが『政治学』で、自然本性上「国家」をもたないのは人間以下の卑賤なものか、人間以上に優れたものであると述べていたことが思い出される。アリストテレスは、神々-人間-動物という階層的な三分法に従いつつ、そのうち中間者たる人間だけが「国家」を形成するというのだが、しかし、人間は、中間性という自らの在り方に従って、神々と人間のあいだにも、人間と動物たちのあいだにも自らの位置を求めずにはいない。神々-人間-動物を繋ぐ線のいたるところに、人間は己がじし中間点を求めて微分的に位置を定めている。そして、無限に増殖する中間点は「国家」という存在からのズレを、至るところに生じさせずにはおかない。「大海原」へ通ずるコプラを探るということは、おそらく「国家」からの出口を探ることでもあるのだ。フランス・ドゥ・ヴァールは『チンパンジー・ポリティクス』で、政治の起源を猿の社会に見いだしているが、いうまでもなく、あらゆる政治が国家の発明に至りつくわけではないのである。
*
 バタイユのいうように、ラスコーの壁画が、動物から人間への移行を示しているとして、しかし、その移行は「ゼノンの矢」を体現しているように思われる。ラスコーの馬や牛たちは暗闇のなかで不動のまま疾駆している。
 芸術の矢は、人間に到達することなく動物と人間のあいだを、空間の微分に抗しながら今もなお飛びつづけている。それは静止しているようにも見えるが、前進する惰性に抗して無限に後退しつづけているようにも見える。人間から動物への移行は、人間から動物への遠ざかりのようにも見える。この遠ざかりは――進化論はむろんのこと、個体間のレッセ・フェール的競争状況さえも後目に――動物の域を越えて植物へ、さらには「生命」と呼ばれる現象にまで通じてゆくはずである。
 沈黙する植物たちの存在に想いが及ぶとき、言葉を喋る猿が登場するルゴーネスやカフカのフィクションは、語り得ない者に代わって語ることで「ささやかな理性」に与しているように思われて来ないでもない。たとえ語り得ない者への善意に発しているとしても、そこには如何にも西欧的な表象=代表の発想が感じられる。演説する猿の寓話は――語弊を畏れつつ言えば――「サバルタンは語ることができるか」というスピヴァクの苦い発問を思い出させずにはいない。さらには、われわれ人間にとっての「環世界」のヴェールの分厚さも思いあわされる。
 とはいえ、寓話は、さまざまな偶有性の亀裂を含む。すなわち、表象=代表の罠を回避するパサージュを至るところに現出させ、それらのパサージュは詩的想像力を刺激してやまない。そして、パサージュの光景に触発される詩的想像力は、厖大な時間の流れのなかで育まれた無意識の「沈黙」の力を体内に喚び起こさずにはいない。ここに書き記したのは、そうしたパサージュ遊歩のささやかな体験談にほかならない。
 芸術という名の飛矢は人間と生命界を繋ぐコプラであり、また人間の閾を越えて広がる共生のアルスでもありうる。カフカやルゴーネスの寓話と、彼らがそれを書いたという事実は、齢を重ねた詩人の肖像とともに、そのことを、われわれ人間に告げている。

(2007年2、5、8、9月、2008年2月加筆、同年7月5日、2009年3月30日増補。 表示はWinXPメイリオ未インストールを基準としている)

inserted by FC2 system