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わたしは森で考える

三瀬夏之介(日本画家)



 いま森の中で絵を描いている。周りは古墳が乱立する風致地区。訪れる人もほとんどいない静寂のなか筆はすすむ。
 絵越しに鬱蒼と茂る木々が見え隠れする。こうやって眺めてみると、アトリエの中では大きく見えていた絵の小さいこと。あまりにも大きく横たわる世界の中のほんの小さな破片。それだけでは何も言わないし、気を許せばすぐにこの大自然に飲み込まれてしまう。何年もの時間をかけ、思いを込めた大作が誰にも見られること無く、倉庫の裏側で朽ち果て土に帰っていく姿を思い、少しの時間恍惚感に浸る。

 パネルは木材だし、顔料は土だ。和紙は植物繊維だし、絵越しに見える世界の構成要素となんら変わりない。
 雨が降ってきた。絵も地面も木々も同じように濡れる。
 何か自然のある要素を人為的に結晶化したような、絵と呼ばれるもの。ただわたしがそれを絵と呼ぶことによってしか、その抽象的存在を成り立たせることのできないだらしない物体。その素材をねじ伏せ、絵を成り立たせるための技法とはわたしにとって何なのだろうか。


 テンペラという技法に初めて出合ったのは京都芸大の3回生の頃。日本画専攻でその個性を存分に発揮されていた小嶋悠司先生の絵と出合ったときのことだった。水性絵具のマットな質感でもない、油性絵具のようなギラついた質感でもない、まるでなめし革のような光をたたえた画肌にひかれたことを覚えている。そのときの絵のキャプションにはデトランプという聞き慣れない技法名が記されていた。
 在学中にはおもちゃのような立体物や廃材レリーフなどを合評会に提出し、まるで日本画にケンカを売るような仕草を繰り返していたわたしは、デトランプ技法の秘密を素直に先生に聞くこともできず、画材屋と図書館に通いながらの試行錯誤が始まった。エッグテンペラはもちろん、カゼインテンペラ、兎膠による下地作り、鏡面金地、イチジクテンペラなんてものにも挑戦した。
 思い出すに、この頃モチーフは関係なく、使用する画材、技法は何でもよかった。とにかくあの絵画でしか実現できない魅惑的な物体をこの手で作り上げたかった。この頃の一連の作品には「錬金術」というタイトルがつけられている。
 そのままでは色のついた土であり、ただの接着剤でしかない、もの言わぬ素材から奇跡的に美しいサーフェースを立ち上げ、なぜこの質感に自身が震えるのかを知りたかった。


 話は飛ぶが、昨年一年間イタリアはフィレンツェに滞在した。五島記念文化財団という太っ腹な財団から好きなところに行ってこいと言われたとき、わたしは迷わずこの街を選んだ。
 理由はいくつもあったが大きなものはふたつ。ひとつ目はフィレンツェがわたしの住む奈良に似ているのではないかと思ったこと。互いに保守的な場所であり、けっして現代アートの発信地ではないけれど、古きよき遺産を抱えている。フィレンツェにもあえてアートの僻地に腰を落ち着けて、情報の少ない静かな環境の中、ものを作り続けているわたしみたいなどんくさいやつがいるのではないか。
 しかし住んでみてわかったことは、当たり前の話だがこの二都市はまったく似ていなかった。光線が、湿度が、言葉が、習慣が、風景が、そして何より生活における絵の位置づけが違った。

 そしてもうひとつの大きな理由がテンペラだった。あれだけわたしを虜にしたテンペラ技法を一度しっかりとものにしたいと思った。

 もしこのテンペラに関する原稿依頼がイタリアへの出国前だったら、わたしはここに書ききれないほど多くの問題意識を実感として書き連ねることができたと思う。
 水性と油性の間を繋ぐ乳化剤の今日的比喩、日本的デトランプの正体、金地テンペラによる現代宗教画の可能性など、異国での実習の中いろいろと考えることは多かった。
 しかし向こうで毎日描き、その中でテンペラという古典技法の学習を経験した今、ふと思いついたことがある。技法とはひとつの言葉であり文法なのではないかと。
 日本画でもいい、油彩画でもいい、日本語でも英語でもイタリア語でもいいのだけど、ひとつの秩序や形式に乗っ取った正式な共通言語というものは、地域性による訛りは多少あるが、あるメッセージをノイズなしで届けることができる。


 フィレンツェではイタリア人の詩人と出会った。彼とは英語、そしてお互いのつたないイタリア語と日本語で意志の疎通をはかった。
 彼は学問や教会の世界において今も変わらぬラテン語で詩をつくる。そこで生まれた作品は複雑な国境を越え、ヨーロッパの価値として立ち上がる。そこにはラテン語を解しない人間の居場所はない。もちろんイタリア語で書くこともあるが、それはそれでメッセージを届けるターゲットが違うわけだ。
 ラテン語はすでに死語であるために文法が時代の影響を受けないという理由もあるだろうし、ラテン語を操れるということがある教養を示すことにもなるだろう。
 これはアートにおいて様々な技法、ジャンル、ヒエラルキーが越境を重ね、標準というものが見えなくなった今、とても示唆的な出来事だった。

 彼はわたしの作品に感じ入るところがあったらしく、何度も絵について話したが、「日本画」というものについては最後まで解ってもらえることはなかった。
「バカらしい価値観だ、この世界には人間しかいない」
 彼にとってのアート、ラテン語、ヨーロッパを疑うということは、わたしが絵、日本語、列島を疑うことと同じことだろうし、せまい世界でもがき苦しむわたしのことが歯がゆくてしょうがなかったのだろう。
 本場の地で生まれた彼はもちろんテンペラ技法の今日的価値を認めていた。
 がしかし、わたしがどんなにねじれようが、ひねくれようが、それは絵ではないと叫ぼうが、彼にとっての絵は眼前にある。そしてそれに彼が深く感じ入っているということがとても不思議な体験だった。  ここに、ただの言葉や文法ではない、ノイズや誤解を含む絵の可能性を見た。


 また話は変わるが、妻はピアノを弾く。一日一緒にいる時間が増えて、初めて彼女の練習風景を眺めることになった。驚くことに最初の数時間は指を温めるために曲とも言えぬ指慣らしをずっと続けている。指が鍵盤からそれることはない。現代曲が好きな彼女は時にピアノ自体を叩いたり、弦を直接叩いたりもするが、それもピアノという形式を超え出ることはない。
 ピアノ以外の音はピアノの音ではないし、ピアノを超え出るということは、もうそれはピアノ音楽ではない。


 最近、美術はそのあやふやさをなくし、ある概念規定をし直した方がいいと思っている。その上でさらなる自由を獲得すべきだ。
 というのはヨーロッパでベネツィアビエンナーレを含めた先鋭的な展覧会を見ていて、これはアートなのか?それともジャーナリズムなのか?それともエンターテイメントなのか?といった判断のつかないものが多いことに驚いたからだ。
 まるでバラエティー番組のようないたれりつくせりの、人と繋がれるアートはあっていい。ただそれがあまりにもだらしなく日常に連結しようとしているように見える。
またジャーナリズム的アートだって、美術館に押し込める必要はなくて、それこそ電波にのせた方が効果的だろうし、それはもうアートでなくていい。
 つまり美術にしかできないことを、たとえそれが地味で多くの人を呼べるものでなくてもいいから、再確認する必要がある。ミニマルアートのことではない、新しい意味でのファインアートの立脚点にもどる必要があると思う。
 もう包括的なアートという言葉には何の意味も無い。


 ある技法やモチーフを選択することによる今日的意味は崩壊している。語法だって日々移り変わる。そんなことは当たり前で各人自由にやればいい。
 でもわたしのやりたいことは違う。非合理を含み、どもったりノイズを帯びながら技法やモチーフや語法から逸脱し、かつどこからどれだけ逸脱しているのかを確認する作業をしていくためにも、わたしはあえて技法に立ち返るのかもしれない。自由のために不自由を引き寄せる身振りに近い。
 なぜならわたしはそれを眼前にそびえたつ美しいサーフェースにしたいから。


 雨が本格的になってきたので帰ろうと思う。


(2008年5月掲載)

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