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立ちどまる時、流される日々 vol.1    1 2 3

高柳恵里(美術家)

  ちょっと敷石のことが気になって、なにか写真でもないかと本棚をながめていて、ふとある一冊が目に入った。「庭のデザインブック」という本で、気に入って 大分前に実家から持ち出したものである。昭和40年代初頭の様々な庭造りの参考プランが、ペン画や白黒写真で紹介されている。当時は、田舎でなくても庶民 の庭とはいえそこそこの面積があったらしく、テラスに造る池の形が円形だの矩形だの、砂場もつくるだの、さらに隅には小さな噴水も良いとか(噴水の口は魚 の口で)、芝生の飛び石はどんな形かどう配置するかとか、この先には鉄平石張りの休憩所をつくってイスやテーブルをどう置くかだの、ながめているだけで限 りなく夢は広がる。特に印象深いのは、「バービーキュー」の項目で、美しくパーマネントをかけた、ギャザースカートにヒールの靴の女性が、大谷石のブロッ クを積んで造った「バービーキューコーナー」の前で網にかけた鍋をのぞいている写真が載っている。ここは、おそらく小市民にとっては憧れのページだったに 違いない。子供の頃、これを見て確か、違和感があるとか胡散臭さを感じていたような気がする。一体こんな世界は本当にあるのだろうかと。嘘臭いと思いなが ら憧れて、いつかこんな風にと心のはしっこで想像したりしているうちに時は流れ、気がつけば、この手の舞台だったに違いないようなところが、すっかり荒れ て薄汚くありながらも奇跡的に残されているのを、しばしば見つけては喜んでしまうようになってしまった。かつてはやはり本当にあった世界なんだ、というこ とは何となくわかる。当時は、色んな意味で、探して見つけて近づく術などまったく持ち合わせていなかったのだ。だいたい、ものごとに憧れてみても、いざ手 に入れる技術を身につけた頃には、存在しない出来事になってしまっていたりするものだ。切ないことに。満たされるためには、うまい具合にかたちを置き換え なくてはならない。

 本のカバーの折り目に、当時、母親が切り抜いたらしい新聞記事やメモがはさまっている。 ミニバラの花壇のつくり方の記事。昭和43年の日付である。意外に紙が古びていない。他には、今となっては珍しい、赤文字一色で筆書き風に本日開店と刷っ た、食料品店のチラシがある。この店は憶えている。一つ屋根の中に、奥行きを持って、八百屋や肉屋、魚屋、日用品店などが並んでいるストアーだった。同級 生の親が営んでいる店もあった。このチラシの裏に、母は、当時の我が家の庭のプランを描いている。庭木をぐるりと周囲に配置し、家の前には四角い花壇や池 のあるテラスがあり、そのかたちを少々まよっているようである。本を片手にどうしようかと思案している母は知らなかったけれど、この庭はまったく良く知っ ている。幼い頃のこもり気味の私にとってのほぼ全世界がある。ふと、時間のことを意識して、何だかくらくらするような気がしてきた。時間は一様に流れるも のというより、本当に捕えどころがなく、姿を変えて現れてくるもののような気がする。ここで一服。

 我が家の あるマンションを出て右へ行くと繁華街がある。総合道具商店にて仕事の材料を購入。食事がまだだったので、喫茶店に入って、ロールキャベツセットを頼む。 最近はセルフコーヒーチェーン店ばかりで、すっかり喫茶店というものは貴重な存在になってしまった。人気も無いようで店内は二組のみ。大変、穏やかであ る。ここは注文をテーブル脇の店内専用電話で頼むことも出来る。注文すると、受話器から聞こえる応答が、そのまま生で陰になっている厨房の方からも聞こえ てきたりして楽しい。いつも店の外は街の若者達であふれているのに、店内は別世界である。年も職種も伺い知れない人々が集まる。ふと漏れ聞く会話は時に生 々しく、人生の交差点を感じることも出来る。ここを、お気に入りの読書の場としている夫は、隣の客の話のとっ拍子もない展開にしばしば本を読むこともでき ずに帰ってくる。とても楽しそうだ。何かを期待しながら入ってしまうところなのである。そう言えば、このところの唯一の楽しみと言えば、深夜の「喫茶店ド ラマ」の再放送。さえない一日を何とかこれで乗り切るのだ。と思ったら今日はやっていない。そうか週末はやらないんだった。別の日、休日だからやっていな いと油断したら見逃してしまった。しまった、と思ってレンタルビデオ屋に行ったら全て貸出中。次の日も貸出中。すっかり先を越されている。そうこうしてい るうちに最終回を向かえ、心の支えも不完全燃焼のまま、初秋の夜は明けていく。

(2004年10月)

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