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2009年06月03日
倉重光則展

 北鎌倉のギャラリーPOLALIS The art stageにおいて、現在、倉重光則展が開催されている。
 POLALIS The art stageは北鎌倉駅から徒歩15分ほどの場所にある。駅前通りはシンプルな道だが、住宅街に入り込むと複雑になり、こまめに案内図を見ながら進んでも迷いそうになる。しかし、迷いそうになったときに周りを見渡すと絶妙な間隔で電柱などにギャラリー名と矢印が書かれた紙が貼り付けられていて、目的地へと導いてくれる。ギャラリーは山の中腹に位置しており、石段を上り、崖下へと滑落しないように慎重に細い道を通過し、森の中へと吸い込まれるようにして到着する。
 緑に囲まれた二階建てのシンプルなその建物はギャラリーというより、アトリエのようにみえるが、一階部分の壁の半分はガラス戸になっていて、光を充分に採り入れられるつくりになっている。傾斜の急な場所に位置するギャラリーはその立地条件を生かし、まるで空中に浮く隠れ家のように存在している。室内と地続きになっている黒色コンクリートの濡れ縁にあがり、出入り口でもある重いガラス戸を開け、靴を脱ぎ、スリッパを履いて中に入る。ギャラリーは、ふたつの部屋に分かれており、「明」と「暗」のコンセプトをもっているようだ。ギャラリー空間自体が表現性を備えているのである。

 倉重光則は、壁三面がガラス戸になっている「明」の部屋に、展示空間を斜めに分断するように天井近くまで高さのある黒い鉄板を設置し、鉄板の床面近くに青いライトを這わせている。鉄板にはオイルが塗ってあり、そのオイルの効果が液体のにじみにも似たライトの反射をつくりだし、同時にギャラリー周辺の緑が鉄板に鮮明に映り込んでいる。これらの現象が鉄板に有機的な面影を与えている。
 またライトは鉄板からガラス戸へと更に反射し、ギャラリー内を移動するたびに、窓外の風景のなかに、まるで逃げ水のようにライトの像が出没する。こちらが位置を変えるたびに変幻するライトが空間を不確かなものにする。

 「暗」の部屋には壁面の下部分に鉄板に使用したものと同様の青いライトを設置している。ギャラリーの壁へとプロジェクタが画像を投影し、それが一定の間隔で次々と白い画像へと切り替わる。その刹那、正方形の白い画面が青いライトに侵食される。それによって、光により投影された正方形の「白い画面」の「空白」性が強調されている。しかし、それにしてもなぜ倉重は光によって空白を出現させたのだろうか。「暗」の部屋の中心部分に位置するその「空白」は何を意味するのか。
 作品という「完全な世界」を構築することにおいて、「空白」は不要とみなされるだろう。なぜなら「空白」は、作品に対峙する私たちを現実世界へと引きずり戻す境界領域に位置し、「作品=エルゴン」に付随しながら、しかもパレルゴンとしても機能するからだ。しかし、映像の欠落として現われる「空白」は、額縁や台座とは大きく異なっている。この空白は、映像の背後に存在するパレルゴンに注意を向けさせる。パレルゴンの外部を成す地がパレルゴンの内部、すなわちエルゴンの領域にまで侵入していることを、映像の空白は教えてくれる。絵画の場合に置き換えていえば、この侵入する地とエルゴンとを区画するのはエルゴンとしての画面それ自体にほかならない。画面を成す絵具層は支持体や背後の壁面とエルゴンを区別するパレルゴンであり、映像の「空白」は、このような逆説に思い至らせずにはおかない。

 倉重は、1981年に開廊した画廊パレルゴン(現在は存在しない)の開廊企画展の作家のひとりであったと伝え聞いた。そこで、昨年、「現場」研究会が開催した80年代美術シンポジウムの資料を見てみると、中島水緒作成の「80年代におけるアヴァンギャルド系現代美術??画廊パレルゴンの活動を焦点として??関連年表」に、倉重展のことが記載されていた。

??僕は絵画の人間、いまやっていることも絵画だと思っている。

 ライトアートの作家という先入観で見に行き、偶然、会場で倉重がこのように語っているのを耳にして、認識を新たにした。作品に向き合えばその言葉は、たしかに納得できる。
 フラッシュバックする空白や風景に映り込むライトの像を介して、作品の、そして画廊空間の内外に展開する倉重光則のインスタレーションは、おそらく作家の思惑をも越えていたのにちがいない。すなわち、作家主体の領域であるエルゴンをはみ出す在り方を示していた。パレルゴンは不意に現れ、そして消えてしまう。それをこそ、私たちは「世界」と呼ぶべきなのかもしれない。(浦野依奴)

POLALIS The art stage (2009年5月16日?6月28日) 
開廊 毎週/金・土・日 P.M.2:00?8:00
http://www.polaris-art.com/index.html

[会期中のイベント]
倉重光則個展における4人のコラボレ?ション
倉重光則?美術・プロデュース
西村智弘?評論
ヒグマ春夫?映像の美術
水野俊介?5弦ウッドベース・作曲
[開催日]
5月24日(日)PM6:00?
6月7日(日)PM6:00?
6月21日(日)PM6:00?
※料金 感動カンパ

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